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| 題名 |
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僕はドイツの日本人 |
| 名前 |
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共益法人ベルリン中央学園補習授業校 水谷裕也 16歳 |
| 国名 |
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ドイツ |
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ドイツでは、毎日2時間、日本のアニメをテレビで放映している。ドイツ人は、これを見て日本に憧れたり、日本に行ってみたいと思うようだ。僕は学校で、ドイツ人の友達から「日本のおもしろいマンガを持っていたら貸して。」と、よく言われる。友達は、みんなマンガやアニメの影響を受けて、日本の食べ物や、武術や文化にすごく興味を持っている。自分たちでは、どれが日本の食べ物かわからないので、僕にいつも一緒に買い物をしようと言う。ドイツの友達が日本の話をしている時は、僕もなんだか日本が懐かしくなって、やっぱり帰りたいという気持ちになる。
ドイツには、大きい町でもたくさん木や土がある。ベルリンは首都でありながら緑が多く、外を1人で散歩していても安全だ。日本のテレビを見たら、最近日本では強盗や殺人事件が多いので驚いた。ニュースを見ていたら、日本は危ない国なのかもしれないと感じた。
だけど僕は、日本のマンガやアニメが大好きで、それを見て自分に勇気や努力する力を与えている。将来は日本の大学へ行きたいと思い、今から勉強をまじめにするようにし始めた。マンガやアニメの影響で、日本への憧れが強くなったなんていうと、ばかな妄想だと思われるかもしれないが、それが今の僕の正直な気持ちだ。
僕のドイツ人の友達は、日本にいくことが夢だという。僕は、日本の大学へ行きたいという自分の夢もあるから、友達に少しずつ日本語を教えて、みんなでいつか一緒に日本に行けたらいいなと思っている。僕は、夢を持つことはすごく必要なことだと思う。
日本人だったら日本の大学より、イギリスやドイツの大学に行きたがるのに、僕は日本人でありながら日本の大学に行きたいと思っている。僕は、ドイツで日本語や文化を教えて、自分でも日本に憧れている「ドイツの日本人」なんだなと思った。 |
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| 題名 |
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私の故郷探し |
| 名前 |
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ミラノ日本人学校 天野萌木 14歳 |
| 国名 |
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イタリア |
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今、中学3年生の私は、来年の高校進学に向けて大切な時期を過ごしています。
ミラノで生まれ、小学校3年生まで、イタリア人の中で育ったこともあり、イタリア人の友達もたくさんいるし、イタリア語も一応、不自由なく話せます。そのため、私の選択出来る進路は、イタリアの高校、インターかアメリカンの高校、もしくは日本に帰って、日本の高校に通う事、という3つです。しかし、こんなに懸け離れた選択に、私はとても悩みました。そしてこの夏、どうしても日本に住んで日本の高校に進みたい、と決心しました。日本をもっと知りたい、日本の友達をもっと作りたい、単純に考えるとこんなことが一番の理由なのかもしれません。しかし、その反面、とても驚いたことに、イタリアへの思い入れがあまりない自分に気付いたのです。ミラノは正真正銘、私の生まれ故郷なのに。ともすれば、日本のどこかに生まれ故郷を見つけに行くような気もするのです。
イタリアの人々は、故郷をとても大切にします。ちっぽけな平凡な町でも、皆、胸を張って「自分の故郷が一番だ」と自慢します。とても羨(うらや)ましい事だと思います。しかし、私が探そうとしている日本のどこかをイタリア人に自慢出来る、知識もないのです。
それを探す為、そして知る為にも、日本の高校に通い、日本に暮らしてみて、自分の中にあるはずの、日本人の心を、心の中の生まれ故郷を、探してみたいと思います。もしかすると、反対に、私の中にあるイタリアの芽が見つかり、それも大切な自分の1つとなる事を祈りながら。
とにかく今は、日本の高校に入るべく、日々必死に勉強する毎日です。
「ふるさとは遠くにありて想うもの」
きっと私の日本への想い、ミラノへの想いは、来年からスタートする日本での生活を通して初めて明確になって行くのかもしれません。 |
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| 題名 |
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すてきなぼく場を作ろう |
| 名前 |
: |
アムステルダム日本人学校 菊澤彩咲 7歳 |
| 国名 |
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オランダ |
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うんがぞいのみちを車ではしるとき、わたしは大きくなってから「こんなところにいえとぼく場を作りたいな。」と、いい場しょをさがしています。なみきみちと、風車が見えて白ちょうがいるうんがのちかくの、空気がきれいなところに、どうぶつをたくさんかえる広いぼく場を作りたいです。
日本では、とおくまで行かないとぼく場がなかったけど、わたしがすんでいるオランダのアムステルフェーンのいえのまわりには、牛ややぎやひつじがたくさんいます。春になると、赤ちゃんが生まれて、大きいひつじの後を歩いているのを見て、かわいいなと、おもいました。
うんがの上にもかもがすをつくってたまごをあたためていました。わたしは、ひなが生まれるのを楽しみにして、毎日見ていました。5月になって学校へ行くとき、いつもすをあたためているおかあさんがいないから、びっくりしてちかづいて見てみたら、ひなが生まれていました。すの上のひなを見たのは、はじめてです。頭が赤くて、とてもかわいかったです。
花がきれいで、ぼく場でおひるねをしている牛ややぎがいっぱいいて、なみ木みちやうんががきれいなオランダが大すきです。
わたしは、オランダにずっとすんで、ぼく場の人になりたいです。わたしのぼく場は、牛の肉は作らないぼく場で、牛にゅうやチーズや、アイスや、ひつじの毛のマフラーを作ります。「太ようあびあびぼく場」という名まえも考えてあります。日本のお友だちにもあそびにきてもらいたいです。日本からおばぁちゃんたちがきたときは、毎あさしぼりたてのおいしい牛にゅうをのませてあげたいです。ぼく場を作るために、オランダ語をいっぱいおぼえたいです。 |
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| 題名 |
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ちがいというすばらしさ |
| 名前 |
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アムステルダム日本人学校 竹村ふみ 11歳 |
| 国名 |
: |
オランダ |
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「ハロー。」
と、そう言ってすれちがうたび、にっこりとほほえむ。ここ、オランダに来てからの習慣だ。そういうことはもうなんとなくなれてしまった。けど、あいさつを交すたびに「ああ、いいことしたな。」と思う気持ちはいつまでも変わらないのはなぜ?日本にいたころは、あいさつなんてろくにしなかった。私は、あいさつもしなければニコリともしなかった。
でも、本当はにっこり笑ってあいさつできる人になりたかった。日本にいたころはそんな人だったけど、オランダの人のふるまい方で私は変わった。今思えばなぜこんなちがうところでくらしていけるんだろう?身長も体格も、育った環境も、言葉も、考え方もちがう人達と…。私の思い出をふりかえる。
あ!答えが見つかった。ちがうからわかり合えて、ちがうから助け合えるんだ。
あれは、私の大切な思い出の1つ。
そう、その日は4年生で、ヨセフ校との交流の日だった。初めてのオランダ人の友達。
心ぞうがドキドキと、変テコなリズムをきざんでいる。うれしいやらきん張やらで思いがはちきれそうだ。
でも、もう遅い。ヨセフ校の人達はニコニコ顔でホールに足をふみ入れた。
「ニコリーン。ニコリーン。」
あわてて私はパートナーの名前を呼んだ。私のパートナー、ニコリーンはその声に気がついたのか、こっちに来てくれた。
ドギマギ話しながらも、「どんな遊びが好きかな。私は竹馬が好きだけど…。」自然と相手のことを考えた。そして、そんなこんなで1日が終わった。ニコリーンとはまた会いたいと思うほど仲良くなっていた。
あの時は、どうして考えたのかよく分からなかった。でも、こうしてペンを走らせていると改めて思う。ちがうから、ちがうけど仲良くなれたのだ、と。これからも大切にしていきたい。ちがいというすばらしさを…。 |
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| 題名 |
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ぼくの大好きなおばあちゃん |
| 名前 |
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ミュンヘン補習校学校 グレッグ海 11歳 |
| 国名 |
: |
ドイツ |
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| 6月12日に、おばあちゃんが亡くなりました。ぼくたちは、とても、とても悲しかったです。おばあちゃんは、いたい所がいっぱいあったのに、がんばって生きてきました。おばあちゃんはぼくの事が大好きで、ぼくが夏と冬に、おばあちゃんとおじいちゃんに会いに日本に帰るのを、毎日毎日楽しみに待って、がんばって生きているんだよと、ママが言っていました。おばあちゃんは、耳もちゃんと聞こえなかったけど、ぼくがドイツから電話したら、いつもおばあちゃんと一緒に、「上を向いて歩こう」をうたいました。うたった後にいつもおばあちゃんは、「海ちゃん!」そしてぼくは、「おばあちゃん!」と大きな声で言いました。そしてぼくはいつも「もうすぐ帰るから元気で待っててね。」おばあちゃんは、「早く帰ってきてね、待ってるからね。」と言っていました。おばあちゃんが死んだ日に、ぼくとママは、歯医者に行く前に、ホテルで朝ごはんを食べていました。パパからママのハンディに、電話があって、「おばあちゃんの病院に、すぐ電話して。」と言ったので、ママはびっくりして泣きながら電話していました。その時はまだ、おばあちゃんは生きていました。ママは、すぐにあしたの日本に帰る飛行機のよやくをして、また、おじいちゃんに電話をしたら、いきなり「うわああん!」とママが泣きだしたので「ママどうしたの、どうしたの」と聞いたら「たった今、おばあちゃんが死んだ。」と言いました。ぼくは、「おばあちゃんににてるね」とよく言われます。前にママが話してくれました。10年前におばあちゃんがたおれて、18日間目がさめなくて、19日目に目をあけて、最初に、「ママの赤ちゃんが見たい!」と言ったそうです。そして産まれたのがぼくです。だからぼくは、おばあちゃんににているのだと思います。ぼくは、おばあちゃんが大好きでした。おばあちゃんの事は、ぜったいに、わすれないよ。 |
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| 題名 |
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ドイツは、はじまりのばしょ |
| 名前 |
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Bavarian International School 井藤萌歌 7歳 |
| 国名 |
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ドイツ |
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なかよしのニコルが、アメリカへかえることになった時、わたしは、とてもかなしかったです。ニコルとは、学校でも、家にかえったあとも、いつもいっしょに、遊んでいました。もう会えなくなると思ったら、さびしくて泣いてしまいました。そして、こんなにかなしいおわかれがあるのなら、ドイツになんか、来なければよかったと思いました。そうすれば、ニコルとも知らないどうしで、ぜんぜんかなしくありません。でも、わたしは、ニコルが大すきだから、やっぱりお友だちになることができて、とてもよかったです。そして、たくさんいっしょに遊びました。楽しい思い出が、いっぱいできました。だから、わたしは、ドイツに来てやっぱりよかったのです。ドイツが、ニコルとわたしを会わせてくれたのです。
ニコルとおわかれする時、わたしは、言いました。「バイバイじゃなくて、またね。」
ニコルも
「また会おうね。」
と、言ってくれました。
わたしたちは、これでおわかれだとは、思っていません。まだまだ、これからもつづくのです。ニコルとわたしは、まだはじまったばかりです。そう思ったら、むねがワクワクしてきます。大きくなって、ニコルとまた会った時、2人で、ドイツの楽しかった思い出をお話することができます。そして、2人が会えなかった間にあったお話を、かわりばんこにします。そうすれば、ニコルとわたしは、もっとなかよくなることができると思います。
はじめてニコルと会ったこのドイツを、わたしはきっとわすれません。ここは、ニコルとわたしの、はじまりのばしょです。 |
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| 題名 |
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グループの「輪」に入るために |
| 名前 |
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ミュンヘン日本語補習授業校 与田有伊子 13歳 |
| 国名 |
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ドイツ |
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学校の新学期が始まってから、私には1つの悩みがある。それは、昼休みの時間を一緒に過ごせるような友達がいないことだ。昨年までは、日本人の女の子が同じクラスにいたため、ずっと一緒にいたのだが、今年はクラスに日本人の女の子は私1人なので、休み時間は1人で過ごすことが多い。とは言っても、いつまでも日本人とくっついている訳にはいかない、と自分から1人になることを望んでいたのだが。
私のクラスの女の子達のほとんどは、ドイツ人だ。その子達は、いつも3つのグループに分かれて行動している。オランダ人の女の子も2人いて、彼女達はいつも一緒にいる。私が一番嫌だと感じているのは、それぞれの母国語によってグループができてしまうことだ。それが仕方のないことだというのは良く分かっているつもりなのだが、どうしても悔しくてたまらない。
あるドイツ人のグループの女の子達は、とても優しいので、私はその子達と一緒にいられるようにと、今頑張っている。さりげなく話し掛けて、そのまま一緒について行くのだ。しかし、始めは良かったものの、段々と話す話題が見つからなくなってしまう。そして、何か話題はないのかと悩んでいるうちに、皆それぞれが別の所に行ってしまうため、そこで私の挑戦は終わってしまうのだ。何も話さないのにただそばにいられても、相手に困るだけなのではないかと思ってしまい、そのままボーっとしたまま時間が過ぎて行く。
結局、今の私に必要なのは、英語力と話の話題、そしてドイツ語力なのだ。今の私にできる事は、何でもいいから話の話題、きっかけを見つけることであり、他国語を学ぶことなのである。学校という場所には、様々な行事、クラブ活動などといった周りの人達ともっと仲良くなれるチャンスはあるのだから、その1つ1つのチャンスをしっかりと掴(つか)んで皆の輪の中に入って行きたいと思う。 |
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