「さぁさぁ、紙芝居の始まり、始まりぃ...」と掛け声をかけると、居間にこしらえた小さなテーブルと子供用の椅子だけの即席の舞台に、4歳半と1歳半になる娘たちが、キャッキャ言いながら集まってくる。今日もまた「虹になったきつね」のお話。昭和30年代生まれながら、自分の眼では紙芝居など見たことがないパパの、見よう見まねの熱演に、しだいに身を乗り出す娘たち。黒とも茶色ともつかぬ眼がキラリと光っている。
日系企業の駐在員時代に知り合ったベルギー人の妻と2人の娘を連れて、日本からイギリスの片田舎に移ってきて、早いものでもう1年。長女が生まれる前こそ、「子供はもちろん完璧なバイリンガルにするんだ。」と公言してはばからなかった私であるが、生まれてからの語学教育は、仕事の忙しさにかまけて、日中は保育園、それ以外の時間は妻にまかせっきりであった。こちらに来て、その状況が急激に一転する。いつの間にか妻の母国語が流暢になり、心配していた英語の方も、半年後にはパパの曖昧な発音を直すまでになった。なんとか現状維持ができればと軽く考えていた日本語は、しかし日を追うごとに口数が減り、しまいには私の顔色をうかがいながら、英語で話し掛けてくることが多くなっていた。ここで負けてはと思いつつも、娘とろくに会話もできないもどかしさに、「いっそ日本語はあきらめて、英語でコミュニケーションをはかった方がいいのかなぁ。」と妻に弱音を吐いた。「気長に毎日少しずつでも日本語で話しかけていれば、きっとまた上手になる時期が必ず来るわ。」日頃はよく一蹴する妻の意見を、そのときだけは素直に受け止めた。
日本を出るときに1セットだけ買ってきた紙芝居を読んできかせてみることにしたのはその翌日からである。「さぁさぁ、紙芝居の始まり、始まりぃ...」いつまで続くのか、どこまで覚えてくれるのか。藁(わら)にもすがるように、パパの朗読に力が入る。 |