| 題名 |
: |
はっはっはーの母 |
| 名前 |
: |
吉田邦子 |
| 国名 |
: |
モロッコ |
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インタビュー |
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モロッコに越してきて1カ月で、私はモロッコが大嫌いになった。スーパーのレジでは大人も子供も横入り、注意すると怒ってごまかされた。「全て新築並み」という触れ込みで入居した家の台所で料理中にガス爆発が起きやけどを負った。衛星放送のデコーダーを取り付けにきた技術者は、自分の古いデコーダーと我が家の最新式のものとをこっそり取り換え、そしらぬ顔して帰っていった。そんな瑣末(さまつ)事が、生後4カ月の娘の子育てで寝不足が続く時期に重なり、私はほとほとモロッコでの生活が嫌になっていた。
そんな頃、日本から母がやってきた。孫娘に会いたい一心で70歳にして初めて、単身飛行機を乗り継いでやってきたのだ。到着した母は、家の使用人にいちいち深々とお辞儀をし、フランス語で歓迎の意を表す使用人に日本語で挨拶を返した。次の日から母は、みるみるうちにモロッコの生活に溶け込んでいった。とは言っても、モロッコ料理は合わないし、言葉だってできない。それでも、「ごめんなさいねー、これどうしても食べられないの」と日本語で言う母に、使用人は笑顔で応え、懸命に新しい料理を考えていたし、スーパーのレジのお姉さんに「あなた、きれいねえ」とやはり日本語で言っても、なぜかお姉さんは頬を赤く染めて、袋詰めを手伝ってくれる有様だった。「お母さんはモロッコ人に好かれるみたいね」と半分やっかんで言う私に母は言った。「あなた何でも考えすぎなのよ。私みたいにいつも、はっはっはーと笑っておけばいいの」 瞬く間に1カ月が経ち、母は使用人に涙で見送られながら日本へと帰っていった。あの時以来私は、何かというと母を思い出して「はっはっはー」と笑うようにしている。そのお陰だろうか、あんなに嫌いだったモロッコのことが、不思議と大切に思えるようになってきている。海外とまるで縁の無かったはずの母に、私は海外生活の極意を教わった。 |