題名 スイミングスクール
名前 岡田航洋 10歳
国名 スイス
僕は、この夏も日本のスイミングスクールへ通った。昨年の一時帰国の時に、日本式のレッスンを受けてから、僕の水泳がすっかり変わったことに周りの人達がおどろいたけれど、実は僕が一番おどろいていた。
「やっぱり日本よね。」を連発して大喜びした母が、今年もレッスンの申し込みをしてくれた。日本人のコーチは頭のてっぺんから足の先まで、細かな動きをひとつひとつていねいに教えてくれる。気がついたら、ドンドン速く、ドンドン長く泳げるようになり、クロール、せ泳ぎ、平泳ぎ、バタフライの4種目全部が泳げるようになった時は、本当にうれしかった。
スイスでも幼稚園の時にグループレッスンを受けたことがある。しかし、ひざ下の水位のプールでボール遊びや、おにごっこばかりして、2カ月後に修了のバッジをもらった時に、母が「これは水泳教室じゃない!!」とおこっていた。小学生になり、ちがうプールで再びレッスンを受けることになった。大人用の深いプールで足がつかず、こわかった。準備体操もなく水に入ると、スイス人のコーチは5メートルくらいはなれて立って「ここまでおいで。」と手を伸ばした。僕は必死でもがきながらがんばった。死ぬかと思った。プールサイドに上がると、母の顔は完全におこっていた。この時僕は、母の言葉の中から「ア然とする」とか「目が点になる」という不思議な表現の日本語を覚えた。それから、すっかり水泳を習うことをあきらめてしまった。スイスでは、「おぼれているみたい。」だと僕の泳ぎ方を笑った母も、日本での泳ぎ方に大満足の様子だ。それでも、泳ぎ方がみんな同じだから僕を見つけられなかったなんて、やっぱり文句も言う。
短い間で上手に泳げるようになれる日本のスクールはすごいと思う。ただ、僕の親友はスイス人だ。かれはクラスで水泳が一番上手い。結局は、その人しだいなんだろうなあ。

題名 勇気を出して。
名前 岡田佳蓮 13歳
国名 フランス
今年の4月3日に私は、初経験をしました。私が3年間通学してた中学校が現在の中学校に春休み後の4月24日に転校した話です。半年前から私は、勉強環境を変えたいと、思い悩んでいました。理由は、大好きで、全科目で一番お気に入りの数学が近頃楽しくなくなり、このままでは駄目になりそうな不安、あせり、数学の先生との合い性が悪く思った自分がイヤになりました。色々と悩み、迷っているだけでは解決出来ないと気付き、「転校の可能性をためそう。」と母と役所へ行き、相談しました。3年前に今の家へ引っ越してると気付き、パリ2区の中学校編入手続きをする事になりました。すぐ新しい中学校長に母と会いに行き、母が私の希望を説明しました。「私は本人の口から聞きたい。失礼ですが、席を外して下さい。」母は部屋から出ました。そして1対1の会話が始まりました。次々シャワーの様に、私の頭の上に質問がふりかかり、私の心臓は太鼓を打つ様、メトロノームで60から100まで上り、爆発するかと思いました。私の心臓の音がまるで私に応援してくれてるみたいでした。「頑張れー、シッカリー。」って。私は無我夢中でした。その結果、「では希望通り編入を認めます。春休み後から貴女は私の生徒です。」ニッコリ、私に握手をして歓迎してくれました。帰り道で母は私に、「部屋が暑かったから、顔が林檎みたい。」と言いましたが、そのせいではなく、一生懸命、生まれて初めて真剣に自分の気持ちを人に伝え、理解してもらう為の結果、顔も火照り、汗が沢山出たのです。その日は私に勇気とは何か、決心すれば私でも行動に移す事が出来る、以上の様に理解出来た大切な日になりました。今の私は以前の様にイキイキと、数学を続けております。大声で誰にでも「ありがとう。ありがとー。」と言った。きっとこれは神様が、「自信持って勇気を出せばいいよ。」と伝言を届けて下さったのかもしれません。

題名 ドイツにきてから
名前 小川美玲 7歳
国名 ドイツ
私は、今年の3月28日にドイツにきました。4カ月でドイツの生かつになれました。ドイツのでん車は、ボタンをおさないとあかないことに、おどろきました。1かいドアがしまってもまたあくからべんりだとおもいます。ドイツの人は、みんなしんせつにしてくれます。たとえば、ドイツにきたばかりのときに、でん車ののりかたがわからなくてこまっているとりょう手につえをついたおばあさんが、
「どうしたんですか?わたしについてらっしゃい。」
と、わざわざエスカレーターにのってのりかえのあんないをしてくれました。おかあさんと、いもうとと、わたしだけで心細かったのでおしえてくれたからうれしかったです。わたしも、こまっている人がいたらたすけてあげられるようになりたいです。
それからドイツはきれいな国です。
町がきれいです。日本のいえは、きたないままにしているのが、いっぱいだったけどドイツのいえは、古いいえをじょうずにしゅうりして、きれいにつかうので、ゴミもないのでいいことだとおもいます。
ドイツにはしぜんがいっぱいあるし、家のにわには、お花をみんなうえています。
わたしも、にわにインゲンときいろいトマトとハイビスカスをそだてています。毎朝水をわすれずにあげています。みんなおおきくなってきたから食べるのがたのしみです。これからもいろんなしょくぶつをそだてて、ドイツの人たちみたいにみどりをふやしていきたいです。

題名 「オレが先だぞ!」ドイツ人
名前 合田光一郎 13歳
国名 ドイツ
今日は土曜日。休みの日になると、必ずではないが、お父さんと弟と、近くの広場にサッカーをしに行く。そこには、絶対にドイツ人がいる。でも、別に知り合いでもないのだし、いたっていなくたって関係ない。毎回そんな気持ちでサッカーを始める。しかし、必ずドイツ人はこう言ってくる。
「mitspielen?」〔ドイツ語で、「いっしょに遊ぶ?」(試合をする?)〕
気軽に初対面のぼくにこう言う。でも、ぼくは、だいたい、「Nein」(「いいえ」)と答える。なにしろ、いっしょに試合をやったって、生まれた時からサッカーをする環境にいるドイツ人と、サッカーを覚えたてのぼくでは、まともな試合にならない。それ以上に、ドイツ人は、自分でずっとドリブルをして、あまりパスをしてくれない。しかし、絶対に、最終的には、なぜかいっしょに遊んでいる。断っても、ずーっとしつこくねばるのだ。結局、「まっ、いいか。」というような感じで、ぼく達は、OKするのだ。でも、ずっと断っていたわりには、結構楽しく遊んでいる。
このように、ドイツ人の子供は、とても積極的だ。大人だろうと関係ない。それに、ぼくは、今まで広場で、ひかえ目なドイツ人に会ったことがない。というより、ひかえ目だから、広場にさえこないのか。
それに、ぼくは、現地の野球チームに入っているが、そこでも、積極的でなければならない。仲間同士のミニゲームでは、守備につくとき、とにかく、自分の行きたいポジションに先に行った人が勝ちだ。ひかえ目な人はずーっと外野にいる羽目になる。ぼくも最初はずっと外野だったけど、最近は、さっさと走って自分の行きたい場所に行っている。日本のように、ゆずってくれることはない。
ぼくは、最初は、この積極性には困ったが、長い間ドイツに暮らしている間に、ドイツ人の優しさなども分ってきて、いまはそんなチームメイトと、楽しく野球をしている。

題名 ピンキー
名前 高宮城やすみ 14歳
国名 イギリス
私の枕元にはピンクのネッシーがいる。ネス湖の怪獣ネッシー。私の宝物だ。
2年半前、小学校を卒業してすぐイギリスに来た私は、挨拶と簡単な自己紹介しか英語を話せなかった。わからない音が頭の上を行き交い、まるで列車から眺める風景のように、学校生活をぼうっと見送った。やっと少し落ち着いてまわりを見回す余裕ができたと思うと、今度は学校で無性に泣きたくなることが多くなった。友達も増え、英語も上達していると自分でも実感できたが、体も心もすべてに敏感に反応してしまうようになっていたのだ。
そのころ私は、毎日歴史の先生の部屋で休み時間を過ごした。手伝ってくれる友達と、日本を紹介するポスター作りをしていたのだ。ある日私たちは、先生お気に入りのぬいぐるみに名前をつけた。Pinkie。私はカタカナで「ピンキー」と名札を作って横に飾った。
次の日先生は「名前を付けてくれてありがとう」と言ってくださった。私はその時元気がなかった。必死で涙をこらえている最中だった。それに気づいた先生は「もうすぐクリスマスだからプレゼント」と、ピンキーを棚から下ろし、私の手にもたせてくださった。
ピンキーは、先生が先生になりたての時、生徒からもらったものだと私は知っていた。びっくりして顔を上げると「私の代わりに世話してね」とにっこりされた。さっきと違う熱い涙がこみあげてきて、私はピンキーを抱えたままやっとの思いで"Thank you."と言った。
それから私は毎日ピンキーと一緒に寝る。ぬいぐるみと寝るなんて、幼稚園のころ以来だ。いつも寝相の悪い私につぶされ、ベッドから転落することもある。でもピンキーは怒ったり逃げたりしない。忘れたいことを心に閉じこめるための蓋になってくれる気がする。ときどきふと思う。「私はひとりじゃない。先生、それから先生のことが好きだった私の知らない人。ふたりの気持ちといっしょに寝ているのだ」と。

題名 自分がどういう人間になるかー。
名前 西岡裕太郎 11歳
国名 ドイツ
ぼくは、ドイツのある野球チームに入っているが、そのチームの仲間は、親切でいい人ばかりだ。練習中、けがをしてしまった時、すぐぼくの所にかけより、励ましてくれた。また、ピッチャーを任され、きん張気味のぼくにエールを送ってくれ、好投をした時には「GOOD!ユウタロウ!」と、大声でほめてくれた。偶然、街で会ったら、とびっきりの笑顔で声をかけてくれたりもした。
初めて日本からドイツに来て、知り合いも少ないぼくにとって、そんな何気ないことがどんなにうれしく、また、勇気づけられたことか・・・。いい人達にめぐまれ、ぼくは、「ドイツに来て良かった。」と、心から思い、楽しい日々を送っていた。
ところがそんなある日、いやな思いを経験してしまった。 見知らぬドイツ人の子供が、前から母親と一緒に歩いてきた。すれちがった時、なんとその子はぼくを指差し、感じの悪いいやな笑いをした。まるで日本人をバカにしているかのようにー。頭にきたことは、その親が、注意もせず、目をそむけて行ったことだ。その後ぼくは、何度か同じような経験をした。「ドイツにもこんな悪い人がいるのか!」と、とても残念に思い、悔しかった。
でも、よく考えてみて、それは、日本でも同じことだと思った。日本にもドイツにも、いい人もいれば、悪い人もいる。大切なのは、「自分がどういう人間になるかー。」ということだ。それは、ぼくが海外生活をして初めてよく分かった。
ぼくも、いつか日本に帰国する時が来る。日本でも、外国人と接する機会があるだろう。そんな時、その人の気持ちになって、差別することなく、同じ人間として親切にしたい。
この海外生活は、ぼくに、外国人とどう接するべきか、を教えてくれた。

題名 イギリス人の美しい心
名前 原裕恵 14歳
国名 イギリス
朝、私が母の運転する車に乗って学校に行く時間は、ちょうど通勤ラッシュに重なっていて、道が非常に混んでいる。そのため、反対車線の車に道を譲ってもらわないと、通れない所が2、3箇所ある。
しかし私たちは、そこで5台と待たされたことがない。早い時は、私たちの車が止まったと同時に、目の前の車がピカッとヘッドライトを光らせて、道を譲ってくれることもある。その度に、母と私はイギリス人の優しさに感動する。彼らだって急いでいるだろうに、余裕の表情に、時には身ぶり手ぶりまで交えて道を譲ってくれるのだ。
イギリス人は、笑顔もとても素敵だ。散歩の途中で出会った人には微笑みかけるし、商店街で買い物をしていると、杖をついているおじいさんが、にこっと笑いながら、中学生の私のためにドアを持っていてくれたりする。
なぜそんな優しさを多くの人達が持つことができるのか、不思議に思ったこともあったが、今ではその理由が分かってきたような気がする。優しさを受けた人は、自分もその優しさを誰かに返したくなるのではないだろうか。実際、母も私を降ろした後の帰り道は、止まっている車に道を譲りたくなるそうだ。イギリス人は、この美しい心の循環を繰り返し、思いやりの気持ちや心のゆとりを失わない生活を、続けているのだと思う。
人から人へ優しさが伝えられていき、世界が優しい気持ちで満たされていったら、どんなにすばらしいだろう。いつか戦争もなくなるに違いない。私は、海外で生活して様々な国籍の友人を持ったので、将来、彼らの国々と争うようなことは絶対にしたくない。だからこそ私は、イギリス人から学んだこの平和につながる美しい心を、世界中に伝えたい。
車を降りると、先生や生徒たちが笑顔で朝の挨拶を交わしている。私は、校庭の豊かな緑の間を縫って、今日も爽やかな気分で教室へ向かう。
 
 



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