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| ■一般の部 |
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海外で暮らすと、家族とは日本文化を実践する場であり、地域とは日本文化を伝えていく場であり、日々の生活とは自らのルーツを再認識・再確認する作業なのだと納得することがある。世界各国から寄せられたエッセイの一遍一編には、それぞれの人生が凝縮されているのだが、総じて感じられたのは、家族交流・地域交流・異文化交流であった。
海外では、家族の絆は強くなる。家族のそれぞれが外では好むと好まざるにかかわらず日本を背負っていて、夫婦や親子の共通基盤が「日本」になるからだ。家族が結束するということは、かつての貧しかった日本の家族の有り様の再発見でもあるのかもしれない。国際結婚している家族のエッセイも数多く見受けられたが、日本人としてのアイデンティティはより一層鮮明のように感じられた。(『心の豊かさ再発見』『スペインではお金が無くてもお金持ち』その他)
地域交流とは異文化交流の第一歩であるが、そこには隣のおじさん・おばさん、店員・駅員・生徒や同僚、要するに自分と同じようにこの平穏でささやかな暮らしを大切にしている人たちとの出会いがある。体を気遣ってくれたり、席を譲ってくれたり、電車に間に合うよう助けてくれたりといったことから、言葉や料理を教わったり、暮らしの中の小さなことが文化交流そのものなのだ。受け入れられた喜びと信頼が、日本とその国との絆を強めていく。
アフリカの洗礼である下痢に見舞われボランティアの日本語のクラスを休みにしたら、生徒が半日徒歩で見舞いに来てくれた話(『真心のプレゼント』)では、「お金はあっても自分のことを第一に考えていた自分」に気づき、今までの人生観が根底から変わるほどの貴重な出会いとなった。
しかし、今、世界が抱えているのは、SARSやテロリズムが象徴するように、相手が見えない、先の読めない苛立ち・不安だ。世界平和も経済再生、地球環境保全といったグローバルな課題は、方向性が見えなければ、一体、世界平和は現実化しつつあるのか?目指すべき真の豊かさとは何か?和解と共生は可能なのか?不安は募るばかりだ。その根底には、今ある平穏な暮らしに対する愛おしさと、それを失うことへの恐怖がある。言葉を変えれば、この日常生活がいかに脆くて崩れやすいか、ということであろう。
最近では日本の優秀な音楽家やサッカー選手の活躍もあって、海外に暮らす日本人も堂々と対等に、あるいは肩肘張らず、力まず、自然体で海外生活を送っているように見えるかもしれない。日本語や習字を教えたり、あるいは日本食でもてなしたり、ということが取り立てて珍しいことではなくなったように、それだけ日本文化に興味を持つ人も増えて、日常生活のレベルではお互い異なる文化を楽しむ素地が出来てきた。
しかし、どんなに知識や情報があっても日本を離れる当初は不安に駆られたことだろう。翻って見れば笑い話になることが、その時はまるで先が見えないのだ。イタリアはスリが多いとか、中東は危ないとか聞かされて不安になるが、百聞は一見にしかず。杞憂になるのは地元の人たちとの交流がきっかけである。焦らずに、と諭されて今までのSPEEDYがモットーだった生き方そのものをゆっくりPIANOに変えることになったり、危ないからヨルダンには1人で行ってと同行を拒否していた妻が、一旦ヨルダンに来てから、あっという間にパレスチナ人の貧しい家族と仲良くなり、ホッペキスを交わす仲になってしまう。出会いがいかに人を変えることができるか示唆に富んだ話である。(『PIANO,
PIANO(ゆっくり、ゆっくり)の精神で』『イスラムの味』)
今回、昨年の優秀賞であり、ドイツで活躍中のビオラ奏者である茨田通章氏の、『異星人接近中』を最優秀賞に選んだ。所属する歌劇団の日本公演が決まったところ、仲間の面々が、ナイフは、フォークはあるか?コーヒーはあるか?といった些細なことで不安を募らせ、ドイツ出発の時は見送る家族は泣き、飛行機に乗り込む同僚は「宇宙に飛び立つ」気分だというほど日本は異星だった。どうなることかと心配したが、1日で杞憂と化す。回転寿司を楽しみ、温泉ではしゃぎ、スーパーでりんごを貰ったり、お寺でお茶をご馳走になったり、日本人のもてなしに大喜びする。成功に終わった公演の後、仲間が「オハヨーゴザイマス」と挨拶してくれるので、自分も相手に合わせて、ハンガリー語、ルーマニア語、ブルガリア語などで挨拶しているという話だ。エッセイの対象が日本人ではなく、いわゆる外国人にとっての日本との出会いの話である。
ヨーロッパに暮らすと時には自己主張や個人主義にたじろぐ事があるが、そんな彼らの周章狼狽ぶりが生き生きと描かれているのだが、歴史も文化の違いも大きく、基礎になる情報が「文化的不均衡」になっている日本に行くことの不安のほうが大きいのは、さもありなんと思う。なぜかヨーロッパ人でも同じ経験するのだ、と妙に納得できる。しかも、不安の解決は意外なほどあっけない。いずれも人と人との出会いなのだ。様々な人たちとの出会いを通じて受け入れられた嬉しさに同じ人間なのだと実感したとき、不安も恐れも雨散霧消。目の前には青空だ。時には感激のあまり「ヨーロッパ人はエゴイストだ。日本人を見習うべきだ」などという猛省と妄信の入り混じったような結論に到達するが、異文化交流はここから始まる。それは時には自分の思い込みを反省し、相手と同じ目線で考え、ともに自己変革を遂げて成長する楽しさを分かち合う、大げさに言えば共生・共存の未来を構築することなのだと思う。ドイツに帰国後、仲間の間でそれぞれの言葉で挨拶するようになったのは象徴的ではないだろうか。
優秀賞には『おべんとうの中味』と『生け花の師匠はドイツ人』を選んだ。前者は友だちにからかわれ、大好きなおにぎりが弁当から消えていた息子が、母が、妹の幼稚園で3週間日本文化を教えることになったのがきっかけでおにぎりが復活。ともだちにからかわれないのか尋ねると「何食べているのかと聞くやつには、プー(ウンチ)食べてるんだぞといってやるんだ」と、頼もしい返事。子供が自らのルーツに誇りを持ち、文化の違いに目覚め、自分の意見をはっきり言えるようになった瞬間である。
『生け花の師匠はドイツ人』は、生け花を、ドイツの婦人にドイツ語で習う話である。教える方と習う方が逆転しているほどだから、異文化交流はスムースであろうと思いきや、「来れたら来ます」と言って、結局は行かなかったためのトラブル。行きたい気持ちがあるため、行きませんとはっきり言えなかったという曖昧さが招いた誤解だった。相手は、行きたくないから行かないとしか考えられなかったのだ。心からのお詫びとともに日本的思考を説明してやっとわかってもらえたが、本当に理解しあえるまでにどれだけの紆余曲折があるか、またそれを乗り越えより密度の高い交流をなしえたとき、互いの結びつきが一層豊かに深まることを描いた作品だ。
エッセイをつづるということは、体験を深く掘り下げ、自らの奥底で熟成させてたものを紡ぐ作業だ。今後さらに豊かな交流が生まれることを期待してやまない。 |
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■小中学生の部
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子供たちの多くが海外で、「日本では決して出来なかった、あるいは考えもしなかった貴重な経験」をしているという。その貴重な経験の1つが親切にされた喜びである。事実、多くの子供たちが見知らぬ環境で助けられたり、手を差し伸べられた嬉しさを語る。そのことは言葉を変えるならある日突然海外で暮らす事になるという環境の激変がいかに大変かということだ。赤ん坊レベルのゼロの状態から始まるのだから最低限の自分の欲しいものが伝えられない、何を言っているのかわからない。おまけに赤ん坊でないだけ泣くことも憚られる。そんな状況で受けた優しさや心遣いはかけがえのないものに映ることであろうことは想像できる。(『がんばればできる』『ピンキー』『イギリス人の美しい心』)
思うことが伝えられないもどかしさの反面、子供たちの観察眼は鋭い。大人たちが弱者に席を譲ること、国によってレジ袋の扱いや水道の蛇口が違うこと、電車のドアはボタンを押さないと開かないこと、野球のポジションはさっさと自分で得るなど。そして、そうした事象から日本との違いを自分で分析し考察していることが伺える。それは水泳の教え方、挨拶の仕方、道の譲り合い、遊びの声掛けなどといった日常の相違を通して文化の違いや歴史や宗教の基礎にまで気づくのだ。(『ドイツにきてから』『スイミングスクール』『「オレが先だぞ!」ドイツ人』)
映し出されているのは日本である。自分が育った国の文化・価値観・慣習が浮かび上がる。当たり前だと思っていたこと、世間の常識が根底から覆るのだ。心に柔軟性がある時期だからこそ透明な眼で見通すことができる。自ら自分の中の常識や固定観念を次々と打ち破ってさなぎが蝶に孵るように脱皮を遂げている。時には、指をさされバカにされているような笑いにいやな経験もしたのに、考えてみれば日本も同じだ。いい人もいれば悪い人もいる。大切なのは、自分がどういう人間になるか、なのだ、と結論づける冷静な判断と勇気に拍手を送りたい。(『自分がどういう人間になるかー。』)
さらに子供たちは語学が手段であることを実感している。自分の言いたいことを伝える手段、相手の言っている事が理解できるための手段であり、なによりも学ぶための手段なのだ。そして、これら、受け入れられた喜び、感性豊かな観察力と学ぶための手段を手に入れた子供たちの成長は目を見張る。(『フランス人が日本人』『がんばればできる』)語学をマスターすることは思ったことが何の不自由もなく表現できるようになることであるが、その真価が問われるのは自分の意思と主張をしっかりと持ち得たときなのだ。なぜ転校したいのか、校長に1対1でその理由を言い得て自分の人生を自分で切り開く最初のチャレンジを成し遂げたとき、人生をどう設計していくかを体得したのではないだろうか。(『勇気を出して。』)
今回は最優秀賞には井藤彩歌さんの『がんばればできる』を選んだ。言葉ができなくて、幼稚園に通った最初の日、パズルで遊べなかったこと、デザートのヨーグルトが食べられなかったことの悔しさから、ドイツでは自分のことは自分で言わなければいけない、と痛感し、がんばってドイツ語をおぼえ、幼稚園が楽しくなった。それと同じように小学校では英語をがんばってわかるようになり、毎日が楽しい、というエッセイなのだが、9歳という年齢で、すでに日本とドイツ文化の根源的な違いの観察、学ぶ楽しさの実感、語学が世界中の人と話せる手段であり日本にいたら日本語しか話せなかっただろうという客観的考察、大変でもがんばればできるんだという習得の体験、などが織り込まれていて、その結果、「世界中にお友だちができました。今、私はとてもしあわせです」と結んでいる結語に、心温まるものを感じると同時に、将来どのような世界を切り開いていくのかと、頼もしささえ感じた。
優秀賞には内田舞さんの『異文化を知ることの意味』と木内華子さんの『フランス人が日本人』を選んだ。世界中で宗教を含む異文化の対立が深刻化しているように思われる昨今、それぞれの文化に誇りを持つと同時に相手の文化を謙虚に受け入れることができるのは、成長の過程で異文化を自分の中に取り込んでいくことができるこの世代ではないだろうか。融合と共生の未来を構築する希望を託したいと願う。
このほかにも寄せられた数々のエッセイには、異国で得た貴重な体験と日本を複層的に織り成していく姿が綴られていて、いつの日かやがて細い糸が太い綱となって日本を牽引するであろうことが予感された。
深田祐介氏 プロフィール
ふかだ・ゆうすけ 1931年 東京生まれ。
日本航空に勤務のかたわら執筆活動を始める。82年「炎熱商人」で直木賞を受賞したのを機に、作家として独立。「文学界」新人賞、大宅壮一ノンフィクション賞、文芸春秋読者賞受賞。企業小説や海外経験を生かしたルポルタージュなど著書多数。 |
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