題名 スペインではお金が無くてもお金持ち
名前 石美保成
国名 スペイン
私の奥さんはフランス育ちのスペイン人、消費の天才で少しでも余ったお金があれば何か買ってきます。「ここの壁にはこの壁掛けぴったりだわ。この台所の角にはこの花瓶いい感じだわ。」と、その時々の買った品物にぴったりと思われる理屈を選んで。だから私達夫婦には貯金と言われるものは銀行にも家にもありません。少しでも彼女の購買に文句でも付けようものなら、決って、「お金は使って楽しむものなのよ。溜めて楽しむものではないの。よく考えてお父ちゃん、6年前直腸ガンで2年の命だって言われて、まだぴんぴんしていられるのに。お金の事なんか考えないで、毎日を感謝して楽しく過ごしなさい。」「だけどお母ちゃん、100ユーロ位財布になかったら不安ちがう?」「何が不安なのよ。冷蔵庫にも、横の戸棚にも食料がいっぱい入っているし、2人の子供は健康で、学校の成績も良いし、土、日曜日にはよく誕生日の招待が来ることは、友達がたくさんいる証拠だし、日本で『お父ちゃんには観音様か、勢至菩薩が付いている』と言われたの憶えている?。贅沢よ。」「贅沢だなんて、100ユーロの事、言っただけなのに。」 マドリッドに住んでいる私の周りには、「子供の風邪が治ったので。車を買い換えたので。飼い犬が子犬を8匹も生んだので。」と、日々のささやかな喜びの折々に、パーティーやバーベキューで友人達を招待して、喜びを分かち合って楽しく生活している、私の奥さんの様なスペイン人がたくさん居ます。それもお金があり余った人達ではなく、いわゆるブルーカラーのサラリーマン階級の人です。先日もパーティーに招待されて、食事の間の会話と言えば8月のバケーションの話。どの様な方法で銀行からお金を借りるか。どこへ行くか。こうしてスペインでは、お金が無くっても、皆んな一家総出で海辺や山野で1カ月間、身も心も本当のリフレッシュが出来るのです。スペインと私の奥さんに心から乾杯。

題名 情熱の国
名前 喜多直子
国名 スペイン
「情熱の国」という形容を、日本ではよく耳にする。かきならされるギターの調べにのり、激しく踊るフラメンコ。牛をショー的駆け引きで死に至らしめる闘牛。自由奔放に生きる女性の代表格カルメンの生みの国。しかし、その「情熱の国」へ移り住んで早2年。ここスペインでの新生活は、私に新鮮な熱さや激しさを見せつけてくれる。
ある昼下がり、昼食をとろうとバルに入るが、まだスペイン語メニューが不可解な私。周りで食事をしている人の美味しそうな料理を注文しようとチラチラ盗み見していると、ふと1人のスペイン人と目が合う。慌てて目をそらす私に、彼は優しく微笑んで、こう言うのだ。「これは、ニンニクの茎と卵の炒め物。美味しいよ。少し味見してごらん。」
深夜、乗り慣れないレンフェ(国鉄)の駅で路線図とにらめっこする私。そこへ「どこまで行くの?」と警備員さんが声をかけてくれる。家の最寄りの駅名を告げると、彼は急に形面を変えて、「それなら5番線。もうすぐ終電が出ちゃうよ!」と教えてくれた。私が急いで切符を買おうと販売機に並ぼうとすると、「早く!こっちだ!切符なんていいから。」と自動改札口を特別に開けて、手招きしている。「走れ!5番線だ!」私は彼の叫び声に背中を押されて、終電に飛び乗った。
週末のバルは大繁盛。60〜70席はあろうかと思われるテラス席は、既に満席だった。どこが早くあきそうかチェックしようとしたその時、2〜3テーブルの人が一斉に私達に向かって手をあげる。「あと5分で出るから。」
日々、出くわすスペイン人の温かすぎるまでの「おせっかい」は、熱く鮮烈に私の心に響く。ただ上辺だけで思い描いていた「情熱の国」のイメージは一変した。ここに住む人々、1人1人の心にある「熱い他人への思い」が、スペインを訪れた人達にここを「情熱の国」と言わしめる原動力となっているのだろうかと、ふと考える今日この頃である。

題名 隣のおばちゃん
名前 酒井菜穂子
国名 スペイン
ビッビー。玄関のベルに昼寝を中断される。隣のおばさんだ。今日は何だろう?ドアを開けるとメロンを手にしたおばさんが立っている。「明日から1週間いないから、メロン食べてね」と言うおばさんの後ろには、袋一杯のトマトと大きなキャベツを抱えたおじさんもいる。NOと言えない私は思い切り笑顔を作ってそれらを受け取る。冷蔵庫の中はさっき買ってきた野菜で溢れ返っている。
この隣に住む親切なおじちゃんとおばちゃんは、気ままな年金生活を楽しんでいる。知り合いの顔を見ると話し出すので夏の買い物帰りに捕まった時は、冷凍品がないか瞬時にチェック。一度アイスクリームがイチゴジュースに変わったことがあったから。
スペインも日本と同じく都会じゃ隣に誰が住んでいるか知らないことが多い。顔は知っていても、口を利いたことがないと言うのもよくある話。でもこの隣人に限っては4日に一度は玄関のベルがなる。ベルじゃなく窓越しに呼ばれることもある。話の内容は病院の話(もちろん彼らの)や、同じマンションの人の噂話(これは日本と同じ)や、彼らの若い頃の話(写真も見せてくれる)など。おじさんはビデオカメラが趣味で、自分で撮った旅行のビデオを貸そうかと言われたが丁寧にお断りした。1度見たら100本以上あるビデオ全て貸してくれそうな雰囲気だったので。
それにしても「遠くの親戚より近くの他人」とはまさにこのこと。彼らにとって私は3人の息子よりずっと身近な存在らしく、時々食事の差し入れをしてくれるし、聞かなくても料理1つ1つのレシピも教えてくれる。私の母が亡くなった時はまるで自分のことのように悲しんで、黙って私を優しく抱きしめてくれた。こんなにいい人達だが、1つだけ欠点がある。何度言っても日本は中国の一部のような所だと思っているらしく、「中国のお父さんは元気?」と聞かれる。今度日本地図をプレゼントしようかな。

題名 PIANO, PIANO(ゆっくり、ゆっくり)の精神で
名前 菅沼真澄
国名 イタリア
「あなたは私の仲間(COMPAGNA)よ!」アパートの管理人さんはそう言い、私を抱きしめた。私は驚きつつ、この街の一員になれた様な気分がし、とても嬉しかった。夫の転勤に伴いミラノへ来て3カ月になるある日の出来事だった。
彼女に初めて会った時、私はまだイタリア語をほとんど話すことができず気持ちばかり焦っていた。初めての海外生活、習慣や文化の違い、そして何よりも言葉が全く通じない世界。そんな私に彼女は「PIANO, PIANO(ゆっくり、ゆっくり)」とやさしく話しかけてくれた。
日本にいた時「イタリアはスリの多い国だから気をつけて」とよく言われたせいか、イタリア人全体を怖い様に思っていた。しかし、実際に生活してみると日本では忘れられようとしている『人との交流』が日常生活の中で生きていた。道の譲り合い、有難う・どういたしましての挨拶、お年寄りへの気遣い、ご近所付き合いなど。そしてイタリア語の辞書を片手にジェスチャー交じりで意味不明なことを言っている私に対しても、街の人々が「PIANO, PIANO」と言いながら一緒になって正しいイタリア語を教えてくれた。街で途方にくれていた私を私が探しているお店まで連れて行ってくれたり、一度行ったことのあるお店の人は、私がお店の前を通ると窓越しに手を振ってくれ、道で会うと話しかけてくれた。管理人さんは、毎日イタリアの生活習慣から安売りのお店の話までしてくれ、私の姿が見えない日は心配して電話をくれた。周囲の人達の温かさに励まされ、私はイタリア語を書いた紙を台所の壁一面に貼り付け必死に勉強をした。そんな私の会話の上達を皆が喜んでくれた。
日本では常にSPEEDYをモットーに暮らして来たが、今ではPIANO, PIANOの精神で過ごして行こうと思っている。最近、私が朝起きて一番に思うことは「今日は、みんなと何を話し、何処のお店へ行こうかしら」ということだ。

題名 心の豊かさ再発見
名前 松本新吾
国名 フランス
フランス中部の商業、観光都市リヨンで生活し約2年になります。40歳になるまで海外生活の経験は一度もありません。家族とともに異国の地で生活することへの不安はありましたが、赴任地は先進国フランス?。ファッションで常に世界をリードし、経済界ではカルロスゴーン氏の経営手腕が高く評価され、日本代表監督としてトルシエ監督が活躍、有力なスーパーが日本に進出するなど、赴任前に私の抱いたフランスの印象は高い経済、生活水準を誇る「EUの大国」でしたから、日本に劣らぬ便利で、豊かな生活ができるであろうと思い込んでいました。しかし、家族と暮らし始めて約1年半、私のフランス生活に抱く印象はずいぶん様変わりしました。赴任当初苦労したのは週末の買物でした。平日は仕事で忙しく、ふと気づくと日曜日、冷蔵庫を開けても空っぽ。店はどこも閉まっていてコンビニなんてありませんので、仕方なくビールを飲んで凌いだことを覚えています。家族を呼び寄せた後は、暗い日曜日が一変しました。私たちは週末の日曜日となれば、家族で近くの公園に出かけます。大観覧車もなければジェットコースターもありませんが、天気の良い日はフランス人の多くが家族連れやカップルでこの公園に押し寄せ、園内の動物を見学したり、散歩やジョギング、ローラーブレード、自転車に乗ったりピクニックと思い思いの楽しい1日を過ごします。幼いころ何も無い時代、父母と過ごした動物園での簡素だが楽しい1日のことをよく思い出します。週末は働かず、家族とともに、時を惜しまずゆったりと過ごす、フランス人のこの感性と心の豊かさは、日本では経済成長とともにいつの間にか失われてしまったかもしれません。郷愁を覚えるこの「心の豊かさ」を再発見できたことは、私と家族にとって、海外生活での意外な収穫であったと思います。

題名 真心のプレゼント
名前 吉田邦子
国名 モロッコ
在留邦人の間では、アフリカでの初めての食中りを「洗礼を受ける」と表現する。私が洗礼を受けたのは、セネガル到着の3カ月後で、夜、突如激しい洗礼に襲われたのだが、幸いにも翌朝から回復に向かった。
ところで、私はボランティアとして自宅で日本語を教えていたが、医者に安静を命じられ、その朝、生徒たちに授業休止の旨連絡を入れた。日が沈むまで横になって過ごし、夕食の時間が近づきつつあった頃、玄関の呼び鈴を聞いた。市郊外に住む1人の生徒だった。額に大粒の汗を光らせ、「コンバンハ、センセイ、オカゲンイカガデスカ」と、以前教えた通りの見舞いの挨拶を日本語で述べた。わざわざ遠くから、と驚く私に「イエカラ、キョウシツ(私の家のこと)マデアルキマス」と笑顔で答えた。過去形はまだ教えていなかった。つまり彼は午前中連絡を受けすぐに家を出発し、かんかん照りの中、半日かけて、歩いてここまでやってきたのだ。勿論セネガルにバスもタクシーもあるが、「オカネアリマセン」ので歩いたと言う。右手には道すがら集めたという野花、左手には朝食用だったバナナを携えていた。それを丸ごと「プレゼントデス」と差し出された。
この時、お金が無くても幸せに生きられること、人を幸せにできることを学んだように思う。生徒が数時間かけて運んできてくれたものは、彼の真心であり私にとっての幸せであったのだ。貧しさの中にあっても人を思いやる心を持ち続けている彼の前で、お金に不自由がなくても自分のことを第一に考えている自分が恥ずかしくなった。
我々は、その後同地で生まれた娘にセネガルに因んだ名前をと願い、「美夕」、「美海」等が候補に挙がったが、セネガルで受けた「深い優しさ」を忘れないようにと、「深優(みいゆ)」と名付けた。今も娘を見る度に、多くの人々の支えを思い、感謝の気持ちで胸が一杯になるのである。

題名 イスラムの味
名前 吉田博至
国名 ヨルダン
ヨルダンに行くことになったので一緒に行こうかと妻に言ったところ、中東でしょ!そんな危ないところ、ひとりで行って・・・。というのでひとりで首都アンマンに来てしまった。ヨルダンはイスラムの国、朝4時ごろから最初のアザーン(お祈り)が始まる。モスクから聞こえる大きな声で起こされ、日に5回もこれを聞くことになる。ダウンタウンを歩くと、さらにイスラムの国に来た自分を感じる。あちこちから視線を浴び、自分が外人であることを知らされ、緊張が走る。
しかしそのうち、ヨルダン人の親切心がだんだん分かってきた。彼らと付き合うのは、まず自分が笑顔を見せることだと分かった。「ヤパーニ(日本人)」というと、笑顔が返ってくる。それからである。いろんなところに「サラーマ・アレイコム(今日は!)」と笑顔で入り込み、好奇心を満たしだした。そのうち、ヨルダン人の家庭に招かれる機会がたびたび出てきた。驚いたことに子供の数の多いこと、子供たちは行儀よく、よく働き、家事を助けている。家庭における父親は絶対で、威厳に満ちている。家族、親戚、同族といった関係を大切にしているため、犯罪も少ない。
ヨルダン生活が3年目に入るころ、妻はヨルダンが安全な国であることを理解したらしく、ヨルダンにやってきた。好奇心が旺盛な妻は、ヨルダン人と接するごとに、この地の文化、風習に興味を持ちだした。最近、7人の子供のいるパレスチナ出身の貧しい家庭を妻と訪問した。なんと、妻は奥さんと抱き合いホッペキスを交わしているではないか。イスラムでは挨拶を大切にし、男同士でも抱き合いホッペキスをするのが普通である。自分は貧しくても、人を助けよ、人に与えよ、というイスラムの教えの根底にある日常の行動が、このホッペキスであり、人を尊ぶ精神の表れのような気がする。これで、イスラム文化の味を妻は少し知ったような気がした。
 
 



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