題名:イタリアからスペインへ

名前:日下愛子さん 12歳

国名:スペイン

   私は2歳の時からイタリアに住んでいました。イタリア人の子供達と一緒に幼稚園に通い、学校もみんなと現地校に行きました。私にとってイタリア語は生活の中で自然に身についたもので特別なものではありませんでしたが、それがイタリア以外の国で役に立つとは思ってもいませんでした。
 去年、父の仕事でスペインに引っ越すことになりました。「イタリアで頑張ってきたのだから、スペインでも同じだよ。」と母は言いましたが、今まで使っていた言葉が通じなくなると思うととても不安になりましたが、どうせスペインにすむのならスペイン語を覚えて友達をたくさん作ろうと思いました。でもここバルセロナは、カタルーニャ語の学校が多くスペイン語の学校はあまりありません。いろいろな学校を見学し、やっと今の学校に決めました。そこはスペインの学校ですが英語とスペイン語で授業をする学校です。
 そして1日目、心臓が破裂しそうになるくらいドキドキして学校に行ったら、新しい先生や友達が出迎えてくれました。先生が「愛子はミラノに住んでいたんだよ。」と紹介すると「私は今年の夏、イタリアに旅行に行ったよ。」とか「ぼく、少しだけイタリア語がわかるよ。」とスペイン語で話しかけてくれました。学校に行く前は英語もスペイン語もわからないからどうして友達と話せるかなととても心配でしたが、しばらく友達の話を聞いているうちにスペイン語とイタリア語はよく似ていることに気がつき、なんだかうれしくなってきました。今まで私がやってきたことがこんなところで役に立つなんて!それからは間違ってもできるだけ自分から友達に話しかけるようにして早くスペイン語を覚えようとがんばったので、今はとても楽になりました。
 ヨーロッパの言葉は元々ラテン語から来ているのでどこの言葉も少しずつ似ていると思います。これからもいろんな言葉を覚えて世界中に友達を作りたいと思います。


題名:はじめてのアフリカ

名前:山川千晶さん 10歳

国名:ウガンダ

  飛行機をおりたら、赤土と緑の国だった。にごった油のにおいがした。まわりを見たらまっ黒な顔と赤い目、そして白い歯ばかりだった。みんな、とてもかんげいしてくれようとしていたけれど、私には見たこともないようなふしぎな人たちに思えた。
 道はでこぼこで、まわりは土でできた家ばかりだった。空港からカンパラへ行くとちゅうに、道ばたでひつぎをたくさん作っている通りがあった。はじめは「洋服を入れる箱かな。」と思ったけれど、ドライバーからひつぎだと聞いておどろいた。「人があんなにいっぱい死んじゃう所なのかな。」と、言葉で伝えられない気持ちになった。
 街のマーケットには、数えられないほど小さな店があって、野菜もフルーツもいろんな物が台の上にならんでいて、なんともいえない野菜のにおいが立ちこめていた。「この街で毎日くらしていけるのかなあ。」と、くらしていくことがそうぞうできなかった。
 すこしたつと、ウガンダの人にも街にもなれて、友だちもできたし、買物に行くのも平気になった。「けっこう日本よりいいかも。」と、思えてきた。
 12月には、夜、数少ない街灯の下に大ぜいの人が集まって、バッタとりをしていた。「バッタをとってどうするの。」と思ったけれど、マーケットで、生のものから調理したものまで売っているのを見て、「えっ、食べるの。」とおどろいた。でも、こわごわ食べてみると、まるでサクラエビをいためたような味がして、ほっぺが落ちそうだった。
 ウガンダは、何でもゆっくりしていて、ときどき腹が立つこともあるけれど、「あわてなくていいんだ。」と気づいたら、ウガンダが好きになった。
 ウガンダでの生活は、私にとって1つのよいけいけんだと思う。これからもウガンダで楽しもう。


題名:見えない壁

名前:安原智子さん 14歳

国名:イタリア

   毎日生活している中で、ふっと感じた。日本にいた時と何かが違う。そうだ、日本の友と壁がある。それは、「毎日顔を合わすのが日常だったのに、日本と海外ではそれは出来ない。」だろう。なぜなら、顔を合わすだけで相手の様子などがわかる。でも、電話やメールでは難しい。ある時、日本の友達にすごく大変な時期があった。私は、メールや電話で励ました。でも私自身、直接伝えるのとはどこか違うと、思っていた。直接伝えた方が、メールや電話よりも温かみや優しさがあると気づいた。私の思いを、日本の友達に届けるには、1万キロの距離はとても厚い壁だった。この時、初めてそう思った。でも、もっと厚い壁があった。
 私は今、イタリアで生活している。ここで出来た友達は生涯忘れる事の出来ない友達だと思う。でも、今の友達と会う機会というのは「現在」だけなのかも知れない。なぜなら、みんなの将来は、バラバラだからだ。ここにいる友達は、日本に帰ったり、このままイタリアで生活し続けたり、今のみんなが、また同じ場所に集まる保障なんてない。会いたいなら、自分の意志、会う事しかないと思う。でも、それを実行するには、本当に沢山のお金や、時間を使わなければならない。そう考えると、今の日本の友達に対する壁よりも、今、イタリアにいる友達に対する将来の壁の方がとてつもなく厚いと思う。でも、私はこうも思う。その壁がどんなに厚くても、壊す事はいくらでも出来る。だって海外、海外って言ったってそれは、地球の中。どんなに離れていたって空でつながっているのだから。
 イタリアと言う国でそこの人々と触れ合い、友達を作った。その人たちは私のかけがえのない人、そんな人達と離れて、未来を1人で背負うのはとても大変で倒れてしまいそうになる。そんなとき空をみて、世界の国々や、日本のどこかへばらばらになった友達のことを思い、私は前進して行くことだろう。


題名:わたしの友達にありがとう

名前:中里梓さん 8歳

国名:イギリス

   今わたしは2年生です。1年生の夏休にイギリスのロンドンにてんこうしました。日本で出来た友だちとわかれてさみしいです。わたしがはじめてイギリスの学校にいったとき、わたしはぜんぜんえいごがわからなかったのでものすごくきんちょうしていました。はじめての休みじ間にメグンという女の子が「あなたの名まえはなあに?」ときいてくれてわたしは「わたしの名まえは梓です。」とこたえました。そのときわたしのこころはものすごくうれしかったです。はじめてのきゅうしょくでもメグンがぜんぶおせわをしてくれました。わたしはモーリーというお友だちもできました。その子はものすごくやさしい子です。わたしがオレンジいろで人の顔をぬっているとザンティアという女の子に「そのいろで顔をぬるとへんよ。」といわれました。でもモーリーが「じょうずにできてるわよ。」とはげましてくれました。みんなはピンクいろでぬっているのにわたしだけオレンジいろでぬっているのにきがつきました。そのときわたしはくにの人によってはだのぬりかたがちがうんだということにきがつきました。モーリーがはげましてくれてわたしはモーリーはなんてやさしいんだろうとおもいました。それにモーリーはわたしを家にしょうたいしてくれました。えいごも、いっぱいしゃべれるようになりました。モーリーはいつもわたしにやさしくしてくれます。ありがとう。
 わたしよりひとつ下の学年に新しい子がてん校してきました。そのときわたしは一ばんさいしょメグンがやさしくしてくれたことをおもい出しました。わたしもゆう気を出してこえをかけていっしょにあそびました。
 今、わたしはイギリスが大すきです。


題名: 私は何人?

名前:小林桃子さん 14歳

国名:ドイツ

   「君達は一体みんな自分は何人だと思う?」
英語の授業の時、先生が言った。
「じゃあ、こっちから順に聞くよ!」
そんなのみんなドイツ人というに決っているのではないか、という私の予想は見事に外れた。
「Ich bin ein Duesseldorfer.」
クラスメイトのほとんどがこの町で生まれ育ったせいか、みんな自分の事をデュッセルドルファーと言う。何気ない一言だが、自分の町に対する誇りや大切にする気持ちが伝わってきた。それは引越しが多く、あまり長く1つの町に暮らす事のない私には羨ましくさえ思えた。
 あっという間に私の番になった。
「モモコもデュッセルドルファー?」
「・・いや・・・。」                   
どうも歯切れが悪い。
「じゃあ、日本にいた頃はどこに住んでたの?」
「東京。」
「それなら、東京人ね。」
「・・いやあ・・う〜ん・・・。」
確かに東京には4年間ほど住んでいたが、『東京人』と言われるとどうもしっくりこない。
「生まれたのはどこ?」
「サンフランシスコ。」
「なら、サンフランシスコ人?」
「いや、それはないけど・・。」
サンフランシスコに住んでいたのは2歳位までなので、記憶はないに等しいので故郷とは呼べない。
 クラスメイトのアメリカ人はどう答えるのかと思ったら、
「私はデュッセルドルファーとニューヨーカー両方かな。」
と、サラッと言ってのけた。
私も、「私はデュッセルドルファーと東京人とサンフランシスコ人。」と言えばよかったのかとも思ったが、ただ単に今まで住んだ場所を並べてみてもしっくりこないものはしっくりこないのだ。みんな、「私は○○人。」と言うから、私も無理に自分を何かに当てはめようとしていた。しかし、よく考えているうちに、無理に出身地や故郷を探し出す事もないような気がしてきた。
 私はサンフランシスコ人である。デュッセルドルファーである。東京人である。しかしそれより何より私は地球人である。


題名:育った国で考えたこと

名前:田中優輝さん 14歳

国名:南アフリカ

   僕は、日本とアイルランド、そして南アフリカで育ちました。「妖精の国」と呼ばれるヨーロッパの島国アイルランド。一年中強い風が吹き、毎日曇り空。小さかった僕の遊び場を求めて、母は教会のサークルを転々としたそうです。でも純朴で優しい人々に助けられ、初めての海外生活を幸せに過ごしたと言います。そして今僕の住む南アフリカ。「虹の国」と呼ばれるこの国は、すばらしい自然とおいしい食べ物に恵まれ、一年中温暖で抜ける様に青い空と星空の美しい国です。ただ、今僕の住むヨハネスブルグは、世界的に有名な犯罪都市です。この美しい町並みを、僕は一度も自分の足で歩いた事がありません。犯罪の影には、アパルトヘイト撤廃後も続く人種差別や貧富の差、教育の不備など問題がたくさんあります。僕の通うヨハネスブルグ日本人学校でも、人種差別の事、南アフリカの歴史を劇等を通して学んでいます。でも今の僕には、どうしたら犯罪が減るのかわかりません。アイルランドに住んでいた時に訪れた、北アイルランドでも宗教による対立が長い間、問題になっていました。人種問題も、宗教間の対立も、ずっと日本に住んでいたら身近な問題として考える事はなかったと思います。でも、どちらの問題も、今の僕には難し過ぎて、何の答えも出せません。世界中で起こっている様々な事件や戦いも、きっとそういう色々な問題の中で解決出来ずにいるのだと思います。
 僕はもうすぐ日本に帰国して日本の高校進学を予定しています。自由に町を歩ける事、あふれる物や音に、きっと僕は夢中になるでしょう。でも、海外で生活した事によって、肌で感じた色々な問題を、これからも忘れずに、将来自分に出来る事を探しながら、もっと勉強して、今は出ない答えを見つけてみたいと思っています。


題名:イタリアの学校

名前:熊本桜子さん 8歳

国名:イタリア

   わたしは、イタリアのローマでうまれた8さいの女の子です。 1年にわたしはかならず2かい日本へ行きます。
 なぜなら日本にいるおばあちゃんが、わたしにあえるのをたのしみにまっているからです。なつ休みには、日本の学校にも行きます。
 はじめて日本で学校に行ったとき、クラスにとてもたくさんの子供がいるのにびっくりしました。
 わたしをいれて39人もいました。
 わたしのイタリアの学校には16人しかいません、だから日本の先生はとてもつかれるだろうなとおもいました。
 それからおどろいたのは、学校へみんな1人でいって、かえってくることです。
 イタリアでは、おかあさんやおとうさんが、学校のげんかんまでおくってきて、かえるときも、先生はおかあさんがくるまでは、学校からだしてくれません。
 イタリアではおともだちのいえにあそびに行くときも、1人でいかせてもらえません。
 日本ではちかくのおみせに、わたしは1人でじてんしゃにのって、おかいものに行ったりしました。
 さいしょはとてもドキドキしたので、はやくはしってかえりました。
 でもとてもたのしかったです。
 イタリアではどうして1人でそとにでてはいけないのかなとおもいます。
 先生は、わたしたちにもっと大きくなって、わるい人がきてもたたかえるぐらいつよくなったらといいます。日本にはわるい人はいないのっていったら、日本にもいるはずといいました、だからちょっとふしぎです。
 イタリアの学校はだれかがわることをするとみんながばつをうけて、休けいじかんにそとであそべなくなります。
 日本ではそんなことはなかったので、これもふしぎです。
 



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