題名:娘の口癖
名前:常塚安通子さん
国名:ドイツ |
| 主人の海外出張の為、今年から入園を控えていた娘と共に不安を抱えて渡独したのは、まだ肌寒い日が続く季節だった。滞在地は日本企業が多々進出している大都市ではなく、当然日本人幼稚園はない。娘は親だけを友達にしていた。私はストレスで左右される膝の病気を持ち、渡独してから日毎悪化の自覚があった。周囲がドイツ式思考法で固められた生活の中で、絶えず苛つき、傷ついていたのだ。娘も私に似たせいか、神経質でせかせかした、日本社会そのもののような気質を持ち合わせている。程無く、娘を教会の子供用公園に連れて行くのが日課となった。しかし、今まで人工的な公園でしか遊んだことのない娘は、半月経っても決して砂場で遊ぼうとはしない。手足に付いた砂や泥が、永遠に落ちないとでも思っている様に。一緒に砂遊びを促すも乗り気でなく、時折不安気に私の顔を見る。ある日、「変な奴」とでもいう風に、男の子がふざけて娘に砂をかけた。砂が少し目に入った娘はパニックになり、泣きながら走って来て、既に口癖になっている言葉、「ママ、いつお家に帰るの?早く日本に帰ろう」と捲くし立てた。その時、彼が走って近づいて来るのに気付いた娘は、身を固くし私の腕を放さない。彼は照れくさそうに「シュウリゴン(ごめんなさい)」と言うと、娘の手を取り砂場で一緒に遊び始めた。彼の母親は、始終その様子を見つめていたが、日本の様に子供をすぐ叱ったり、仲裁に入ったりはしなかった。ドイツでは子供同士のトラブルは、可能な限り自主性にまかせる方針のようだ。一見、無責任の様だが、何故かそれは嫌悪感も無く、清清しい気分がした。あれから4カ月、真っ黒になった娘は、今日も友達とおもちゃを取り合っている。戦利品を手に素足で駆けて来て、私の目を覗き込み、最近の口癖「ママ、ずっとドイツに居ようね」と、味噌っ歯を出して笑った。その瞬間、私は膝が軽くなっているのに初めて気付いた。 |
題名:スーパーウーマン
名前:山根隆雄さん
国名:フランス |
1998年6月、フランスへの異動を上司より命じられた時、私の妻(その時は彼女)は泣いた。驚いた。もともと妻は海外旅行好きであり、当時年に少なくとも2回は海外に出かけていたものだから、きっと喜んでくれるに違いないと勝手に決めつけて話した。
“海外は旅行に出かけるところであって決して住むところではない。”
これが彼女から返って来た答だった。1999年1月に辞令通り私は異動し、1999年9月の結婚後、彼女は妻としてフランスに来た。このときばかりは楽天家の私も様々な準備(心の準備を含む)に励んだ。日本人の友達を見つけてやろう、とにかく日本人のいる語学学校に行かせよう。それとも子供を作って寂しくないようにさせようと…
全てがいらぬ心配だった。授業料が高いからと日本人が多い語学学校をやめ、近所の日本人が来ないほど安い語学学校に移り(一応駐在員の妻です)、日本人が多く来るからと連れて行こうとする16区の肉屋も行かず、近所の肉屋で常連となり、鳥の骨を取ってもらえるまでになり(普通は取ってくれない)、フランス人用の観光ツアーに参加してはフランス語ガイドの言葉にメモを取った。そんな状況でも彼女は、多くのかけがえのない日本人の友達を見つけた。1人帰国し、また1人帰国し、でも彼女は友達を見つけてくる。そんなある日、英語も話せなかった彼女が私に1つの驚きをくれた。私が帰宅すると、彼女はテレビを見ながら笑っていた。見ていたものはフランス語版実写スーパーマン。少し隣で一緒に見たが、私はすぐにギブアップ。心の中で私は彼女に突っ込んだ。“スーパーマンよりも、お前がスーパーウーマン!!”今や彼女はフランス哲学、フランスビジネスを勉強している。国籍を問わず多くのかけがえのない友達がいる。自称妻より努力家の私が日々勇気をもらっているようだ。ありがとう。 |
題名:I'm sorry. はスマートに
名前:田中恭子さん
国名:オランダ |
「"I'm sorry." は慎重に」。これは欧米に暮らす日本人がごく自然に学ぶことのひとつだと思う。実際私も、明らかに非があっても絶対に認めようとしないオランダ人に何度も腹を立てたものだ。ましてや、仕事や金銭面での責任が生じる場合の彼らの自己弁護術といったら、怒りを超えて感心の粋に達する。しかし、トラブルになる前に円滑に処理する能力には長けており、見習うべき点は多い。
ゴルフ場でのこと。後ろから打ち込んできた危険球に対しクレームをつけたところ、「僕ではないが、僕らの誰かが打ったのは確かだ。友人のミスは自分のミス。申し訳なかった」と交わされてしまった。なんとも上手い。
また、男の子たちが私の自動車にいたずらしようとしていたのを発見し、慌てて追い払ったことがある。それを見ていた近所のおじさんが1人の少年の家を突き止め、叱りに行ってくれた。「親にも報告しておいたよ。まったく、同じオランダ人として恥ずかしいよ」。おじさんにそう言われ、ほっとしたのも束の間、先ほどの少年たちが現れた。手には何か持っている。少年といっても身長180センチほどの3人に囲まれ、私は咄嗟に身構えた。すると、「ごめんなさい」と、か細い声がした。バツの悪そうな面々に、仕返ししそうな勢いはなかった。聞けば、この悪ガキ3人組はまだ15歳。「二度としない」と約束して私を安心させるまで、家には帰って来るなと親から言われたらしい。私が許してくれなかったら、窓拭きをするつもりだったのだと言う。そこまでさせる親も偉いが、15歳にして少年たちがこれほど素直なのにも感動する。あまりのかわいらしさに、思わず笑みがこぼれた。
そもそも、大人が子供に注意できない国など、いまや日本くらいではないだろうか。また、後味のいい謝罪が苦手なのは、むしろ日本人のほうなのかもしれない。
オランダ人に教わった。"I'm sorry." は「慎重に」より「スマートに」が有効なのである。 |
題名:アイアムギルティー
名前:波嵯栄總子さん
国名:フランス |
| エクスキユーゼモア、セマフォート。あーまたいってしまった。ごめんなさーい、私がいけなかったんです。フランスでは簡単に謝ってはいけないと日頃私の秘書がいっているし、口が裂けても謝ったりしないフランス人にはうんざりするほどお目に掛かっているのだから、そんなことは百も承知だというのに、何かにつけて口をついて出る言葉。ついこの間もミスのあった資料をクライアントに指摘されて、申しわけありませんでした、訂正したものを揃えましたのでお送りいたします、と書いたところ秘書のリリアンが、申しわけありませんでした、なんて言う必要ないわよ、訂正した物を送ります、それで充分、という。感心するやら意心地悪いやら。英語の研修を受けているリリアンが、私の英語の先生日本人嫌いなんですって、私が日本人の会社で仕事している、と言ったらそう言うのよ、何故ですか、と聞いたらだって日本人ってことあるごとにアイアムギルティーっていうんですものって。えー、アイアムギルティーね、それはないわね、日本人の言う、済みません、ごめんなさーい、と言うのはちょっとギルティーとは違うわ。ギルティーってあれキリスト教の国の人々の感覚じゃない、ほら誰かが言ったじゃないの、日本は罪の世界でなくて恥の文化だ、だから日本人がごめんなさい、と言うときには別にそれほど深い罪悪感は無いのよ、それは間違った英語訳だわね。済みません、とかごめんなさいって私たちにとっては挨拶みたいなものなのよ。それにしてもフランス人って謝らないわネーというと、友人のミシェルはだって神様に謝っているからそれでいいのさ、なんてうそぶいている。やっぱり謝ると言うのはアイアムギルティーの感覚なのかも。この間ベルナデットと久しぶりで会うことにして、とある地下鉄の駅前で待ち合わせたのだが、すっかり時間に遅れて着いてしまった私は、それこそご免なさいを連発した。ベルナデットがうんざりした顔つきで、フサコいい加減でやめて頂戴、そのエクスキューズモアというの、一度で良いから、貴女に会えて嬉しいわぐらいいって頂戴よ。あーなるほどね、いくら待たされても、ご免なさいといわれるようりも、貴女に会えて嬉しいわと言われる方が嬉しいのだ。うーん。
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題名:駄菓子の交流
名前:古川宏一郎さん
国名:イギリス |
| 突然チャイムが鳴り、ドアを開けると、小さな子供が5人ほどニコニコしていた。子供が訪ねてくるような用事は何だろう。不意の訪問者の意図を疑問に思った。銘々がメークアップし、衣装をまとい、白い袋をぶら下げていた。その日がハロウィンであることを理解するにはしばしの時間を要した。そもそも、ハロウィンというイベントは、自分には全く関係ないものだという認識でしかなかった。仮装行列みたいな子供達を車から見かけたが、学芸会だろうと思っていた。「あぁ、ハロウィンね。ちょっと待って」とは言ったものの、お菓子など用意していない。キッチンに戻ってさてどうしたものかと考えた。ジャガイモなら大量にあるが、ジャガイモをあげても喜ばないだろう。その時、日本の友人が送ってくれた日本の駄菓子が食べないままどこかに閉まっていたのを思い出した。よっちゃんいか、都こんぶ、すもも。どれも抵抗を示しそうなものばかりだが、外見では味はわからない。子供たちが家に帰り、予期せぬ東洋のお菓子は大収穫だったと、袋を開けて一口食べたときの顔が思い浮かび、笑いがこみ上げてきた。玄関に戻ると、子供たちがニヤニヤしている私を訝しげに見つめていた。「これは日本のお菓子なんだ。興味ある?」子供たちに差し出すと、見たことの無い異国の文字が書いてあるのを見て、興味津々のようであった。「ハッピーハロウィン!」子供たちが口々に叫んで去っていった後、よっちゃんいかを食べる子供の顔が浮かんで、笑いがこみ上げてきた。恐らく経験したことの無い味であろう。吐き出すかもしれない。恐らく日本がどこにあるかも知らないだろうし、日本自体を知らないかもしれない。「変なものを食べている外人」という評判になるかもなと思っていると、早速次の日に、近所で遊んでいた小さい女の子が寄って来た。「日本の子供たちはいつもあのお菓子を食べているの?」「どうかな。俺も子供の頃は食べたけどね。」「とても不思議な味だったけど、嫌いじゃないわ。また何かちょうだいね。じゃバイバイ」彼女は日本に興味を持ってくれたようで、私を見かけるとその後も話し掛けてくるようになった。「イギリスではこういうお菓子を食べるのよ」とガムを渡されたときは笑いが止まらなかったが、ちょっとした遊び心から差し出した駄菓子から思わぬ交流が生まれた。 |
題名:お別れパーティー
名前:下村康代さん
国名:ドイツ |
主人の会社の都合で、2年間住んだデュッセルドルフからミュンヘンに引っ越すことになった。やっと新居が決まり、引っ越しの準備に追われていた6月下旬、学校から帰ってきた長男の洋平が、「マルクのお母さんが7月15日にお茶に来てねって」と言う。15日と言えば引っ越しの当日。悠長にお茶なんかしている場合じゃないんだけどと多少当惑しながらも、彼女の招待を受けることにした。彼女は、次男の大悟の幼稚園からの友達、マルクとアンナの優しいお母さん。私と同い年で家が近いこともあり、自然と親しくなった。レース編みとお菓子作りが得意な、家庭的な雰囲気のドイツ女性だ。
当日、マルクの家のブザーを押すと彼女が出てきて、地下室に行くように言う。いつもなら飛び出してくるマルクやアンナが見あたらない。家の中がシーンとしている。促されるまま階段を下りて地下室に行くと、子供の靴、靴、靴。その時ドアが開いて、中から一斉に「ユーバーラッシュング」という声が。マルクやアンナだけでなく、大悟のクラスメート、洋平の友達まで15人はいただろうか。天井からは色とりどりの風船やテープがぶら下がり、テーブルの上にはお菓子やケーキが並んでいる。「靴を隠したり、子供たちを静かにさせるのが大変だったのよ」と、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。「洋平の友達は知らないから、学校に行って洋平と遊んでいる子、みんなに声を掛けたの」。 学校のこと、日常生活のこと、どれだけ彼女のお世話になったことだろう。稚い私のドイツ語を一生懸命聞いてくれた彼女。誰も知り合いのいない街で、「ハロー」と明るく声を掛けてくれたことだけでも、どれだけ心強かったことか。さらに、私達に内緒でお別れパーティーを計画してくれていたなんて…。
感極まり、涙でぐちゃぐちゃになりながら、「フィーレン・ダンク、フィーレン・ダンク」と、私は彼女の胸の中で何度も繰り返した。 |
題名:がんばれ!パンツマン!!
名前:大納美津子さん
国名:オランダ |
もし我が子が体育の時間に体操服を忘れたからと下着姿でさせられていたと知ったら、日本の親ならどう思うだろうか。やはり屈辱を感じるだろう。すわ教育委員会だ、と騒ぐ親もいるかもしれない。私がそれを知った時もかなりショックを受けた。4月に新1年生になるはずだった長男。内気だが我慢強い面もあるので、より深い異国での体験をと現地校に入学させた。1カ月経つと友達の名前も聞かれ、楽しんでいるのもと安心した。そんなある日、体育用として持って行ってるTシャツを着た形跡が一度もない事に気がついた。尋ねると「パンツマンになってやってるよ。」体操服を忘れた子は服を脱ぎ下着姿でやるのだと言う。「忘れたわけじゃないでしょう!持って行ってるじゃない。」「だってみんながどこに行くか、わかんないんだもん!」息子がそう叫んだ時、今まで想像できなかった学校での様子が初めて頭に浮かんだ。何もわからないのだ。息子はただみんなのする事を一生懸命見ている。先生が何か言う。何か1つでもわかる言葉が出てきはしないかと全神経をそこに集中させて。みんながどこかに移動する。ただ後からついて行く。1日中がこうなのだ。下着姿で体育をしていた事以上に、わからない中で必死で1日を過ごしている姿を知り胸がつまった。Tシャツを忘れたからといって怒られるわけでもない。汗をかくし動きにくいから脱ぐのであって、下着姿になることが恥ずかしいという感覚はここにはない。何人かはいつも「パンツマン」でやっているらしい。息子自身「恥ずかしくないよ。」と言っているのがせめてもの救いだ。物事にこだわらず、ない物はある物で済ませるという合理的なオランダの考え方も悪くはない。 異国での生活にくじけそうになった時、そんな息子のパンツ姿が私に勇気と力を与えてくれる。彼もパンツ姿で戦っているのだ。私も頑張ろう。そして応援しているよ。
「がんばれ!パンツマン!!」 |
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