題名:愛情の表し方

名前:ERB(エルプ)明美さん

国名:ドイツ

  「ママってすごくきれいだったのね。」昔の写真を見ながら主人の母に言った私の言葉に、「そうだろう、だから結婚したのさ。」と、主人の父はママの肩を抱きながらニコニコ笑っている。  日本人同士の会話ならば「オイオイ」という突っ込みが必ず入るシチュエーションである。若しくは「なんじゃこいつ」と反感を買うパターンか?
 ドイツ人の夫と結婚しドイツに暮らして4年半。私の周りには自分の夫、妻、子供を堂々と自慢する人がたくさんいる。しかもそれがまったく嫌味でなく、好感さえ持てるから不思議だ。「お宅のお子さんとっても良く出来るんですってね。」「ええ、ほんとに成績がいいの。」などなどの会話に、最初は「えっ」と一瞬絶句したものだ。なぜなら社交辞令としてお世辞も込みの私の言葉に対する答えは「そんなことないですよお。」であるはずだったから。そんなとき、しかし不思議と「なに、この人」とは思わなかった。どの人たちからも、相手への深い愛情が感じられたから。誰もがたとえ冗談でも家族をけなしたり、おとしめたり、笑いものにしたりするような会話を絶対にしない。それを“真面目”“堅物”という言葉で私は片付けたくない。人にはそういった、愛する人からいつも誉められている、ということがとても必要だと思う。愛する家族から誇りに思われ、それをちゃんとした言葉で常に伝えられる。それは何よりも幸せなことではないか。そんな環境の中で育った子供がどうしてキレたり出来るだろう。
 私には日本人の謙遜、謙譲の精神を否定する気は全くない。日本人としてとても誇りに思う。ましてや家族を愛する気持ちの深さなんて、ドイツも日本も世界中どこへ行ったって同じだと思う。ただ、いつか私がおばあちゃんになって、孫にでも昔の夫がかっこいいと言われたとき、夫の手を握りながら「そうでしょう、だから結婚したのよ。」と、さわやかに言ってのけられたら、最高だと思っている。



題名:ロンドンの空

名前:大谷マリさん

国名:イギリス

  雲の流れるのが心なしか早いような気がするロンドンの空。この空の下で暮らすようになって、もうすぐ5ヶ月ー。  悩まなかったといえば嘘になる。
 夫が海外転勤を切りだした時の表情を、そのときのリビングのオレンジ色の灯りを今でも鮮明に覚えている。
 いつかは、こういう日が来ると覚悟していたが、いざ翌月となると話しは別。「自分は単身赴任するから、君は仕事を続けていいよ」という夫の言葉は彼なりの優しさなのか、気楽に暮らしたい本音なのか。
 私の両手にはたくさんの宝物があった。12年続けてきた高校教師という仕事、趣味のパイプオルガン、近くに住み結婚後もパラサイトしている実家、いつでも遊べる友達、大好きな東京でのショッピングや映画などなど。
 自分というものを形作っている、これらのものなしに、専業主婦として外国で暮らしていけるのか。不安のまま成田を飛びたった。
 そして、いま。
 昼間は英語教師としてのスキルアップを目指して大学へ。教師から学生の立場へと大きく変わったが、そこが面白いところ。日本では外で夕飯を済ませていた夫が家で食べるようになり、私は料理の腕をみがくことに。ひとつひとつの変化が妙に楽しい。
 そして失うと恐れていたものを、結局わたしは何ひとつ失っていなかった。それどころか今まで当然とみなしていたことが、いかに自分にとって大切だったか気づくきっかけとなった気がする。受け持ちの生徒とも毎日のようにメール交換をしている。教員としてというより一対一の人間としての交流だ。
 変化を恐れて、ちぢこまっていた自分が懐かしい。両手でつかんでいたものを手放す決心をしたがゆえに、かえって多くのものを得ることができたのだ。
 ロンドンの空は私が思っていた以上に、ずっとずっときれいだった。


題名:私は日本人

名前:田中恵理

国名:イギリス

  1997年8月、生後7カ月の娘と主人の待つイギリスへとやってきた。予想通り英語はほとんど理解できず何より天気の悪さに精神面もかなりの打撃を受け異国で暮らしていく心細さを痛感した。しかし、ここで生活する以上落ち込んでばかりもいられず何か行動を興さねばと教会の「母と幼児のミーティング会」に参加した。緊張の面持ちで訪ねた私を責任者のティイナとメンバーは暖かく迎えてくれた。彼女達と話がしたい一心で英会話にも励んだが母国語以外のことばをそう簡単に操ることができるはずもなく、皆が優しければ優しいほど自分の不出来さがもどかしくなさけなさで一杯になった。そんな時、教会へディイナの母、アイリーンが来られた。初対面のわたしにとても気さくに
「ハローエリ、イギリスはどう慣れた?」と尋ねてくれた。
「素敵な国で気に入ったけれど会話がうまくできないからつらいの」と答えた私に「エリ、あなたは今私とこうして話してるのよ。自信を持って!」と、力一杯抱きしめてくれた。緊張の糸がほぐれた瞬間であった。足の不自由な彼女に毎週会うことはできなかったが、会えた時はいつも「前より上手に話せてるね。別人みたいだわ。」と豪快な笑いと共に励ましてくれた。あれから3年8カ月、大勢の方に支えられての今日まで…。ことばの壁により今だ落胆の日は多々あるが、たとえその壁があろうともなぜか心が通じあえる人に巡りあえることも実感できた。気持ちの上でも少しゆとりのできた今、日本を知りたいといってくれる友人に不器用ながら折り紙やお琴、そして私が説明できる範囲での文化、習慣等を披露している。それらを重ねていくうちに今までに感じたこともなかった私は日本人だという自覚と誇りをもつようになった。これは日本を離れたことにより得させてもらった思いである。この思いを大切に、残り少なくなった駐在生活を有意義に送りたい。これまでに出会った優しい人々への感謝の気持ちを忘れる事なく。



題名:千ズォティのゆくえ

名前:寺田祐子さん

国名:ポーランド

   ポーランドで生活を始めてまだ間もない、ある雨の日、最寄りの銀行のキャッシュコーナーへ、初めて1人でお金をおろしに行った。 カードを入れ、言語表示を英語に設定し、暗証番号を押した。二者択一の表記があり、迷わず上側のボタンを押した。すると金額表示の画面が出た。少し多めに、千ズォティ(約2万7千円)を引き出すことにした。
 すぐに領収証が出てきた。しかし待てど暮らせど、肝心のお金が出てこない。
 その領収証を改めて見ると、Flood's victim charity fund その下には、Thank you とある。
 なんと、私が引き出そうとした千ズォティは、私の操作ミスにより、まるまる水害災害基金に募金されてしまったのだった。先程、よく見ないで押した二者択一のボタンは、上は「募金」、下は「引出し」だったようだ。
 私は庇のない街頭のキャッシュコーナーで雨に打たれて呆然と立ち尽くした。
 水害災害基金というのは、今年の夏、ポーランド南部を襲った集中豪雨で、大被害が出た際の災害復興の基金であろう。銀行口座から自動引き落としで募金できるようだ。
 そこの銀行の窓口で、募金したお金をキャンセルする仕方を教えてもらい、帰宅した。
 主人は、洪水被害も大きかったことだし、そのまま募金すればよい、と言ってくれた。快くフォローしてくれた主人に、本当に頭が下がる思いだった。
 後日、知人に私の失敗談を話して聞かせた。彼女のご主人は、夏休みの旅行をキャンセルしてまで、休暇返上でその災害援助のために働いていたらしい。
「あの洪水のために募金してくれたと主人が知ったら、きっと喜ぶと思うわ」
 あの自分のケアレスミスは、この国のために利用されているのだ。キャンセルしようと言い張らなくて本当によかった、と改めて実感した。
 それは自分が住んでいる国に、思い入れが深くなった瞬間でもあった。



題名:花の都はフンだらけ

名前:ブカシャール登志子さん

国名:フランス

  結婚して花の都に移り住み、10年経った。「フランス語は世界で一番美しい言葉」と信じて疑わなかった私は、新婚当時毎日ナマで耳に入ってくるフランス語に聞き惚れながら暮らしていた。
 そう、犬のフンを踏ん付けるまでは。 この町には至る所に、犬のフンが落ちている。堂々と道の真中に落ちている事もあれば、街路樹の下に放置されている事もある。道端にフンをさせたという事は、飼い主は「ここなら人の迷惑にならないだろう」と考えての結果であろうか?ところが、私はその道端のフンを、車から降りた瞬間に踏ん付けてしまったのである。全く予想もしていなかった。泣きたい気持ちで、お気に入りの靴に付いたフンを拭き取りながら、私のフランスに対する幻想はあっけなく崩れ去ってしまった。
「フランス人は犬好き」という事は知っていたが、犬のフンは始末しないという事は、ここに住むまで知らなかった。
 実際にこの地での生活が始まれば、次々に現実が見えてくる。10年暮らす間に「la vie en rose(バラ色の人生)」の理想はきれいさっぱり消え去った。自己主張はするが、責任を果たさない、絶対に謝らない、平気で嘘をつくフランス人に嫌という程接してきた。
 しかしながら、たっぷり10年も住んでいれば、たまには親切なフランス人に出会うこともある。「Chere, Madame!」といつも陽気な魚屋の主人、「あなたは幸せなの?」と心配してくれる娘の先生、日本語で「こんにちは」と笑うカフェのマスター。日常生活がバラ色に輝く一瞬である。そんな時は昔のように、フランス語の美しさに感動したりもする。
 その一瞬を期待しながら、今まで暮らしてきたと言ってもいい。さあ嫌な事を思い出すのはさっぱりやめにしよう。これからもできるだけ笑顔をもって彼らに接しよう。そうしないと、たまに訪れるバラ色さえも消えてしまうから。



題名:息子から学ぶこと

名前:松田康典さん

国名:アイルランド

  こんな書き方は「愚息」文化の日本では受け入れてもらえないかもしれませんが、私は最近息子を尊敬しています。 彼が全校で日本人が1人というダブリンの私立校に通いはじめて3年、「Chinese Boy!」という上級生のからかいに胸を張って日本人だと主張し、6歳ながら体格の良いアイリッシュの同級生に混じってラグビーをし、日々の学校生活を通して、アイリッシュ訛りの英語に加えて目に見えない国際感覚というものを自然に体得しているようです。
 先般、息子と彼のBest Friendを車に乗せて彼らの話に耳を傾けていたところ、息子がその友達に私のFirst Name を教えています。その後、彼は私をFirst Name で呼び始めました。私は単なる「Daisukeのお父さん」という存在ではなく、一人格として彼に認知された、そんな印象を受けました。
 振り返って日本、特に企業内では、名前は言わずもがな、苗字さえも呼ばずに肩書きで呼び合うのが恒例です。そこにはPositionへの敬意は見えても個々としての顔は埋没してしまう、そんな印象を拭えません。
 欧米では、例え肩書きに隔たりがあってもお互いに名前で呼び合うことから、上下関係以前に対等な個人だという意識や親近感を持つことができるような気がします。下のものが上のものにお茶を出したりといったことが抵抗なくできるのも、そんな平等意識が徹底しているからかもしれません。後から苦労して学習した私にとって、こういった感覚を自然に体得している息子には羨望を覚えます。
 最近、息子のクラスはちょっとした日本語ブームです。先生が「Daisukeは日本語も英語も話せて偉い。」と皆の前で言ってくれたおかげで、いじめどころか日本人であるということが彼の誇りです。彼の同級生が日本語で「カッコイイ!」などと叫ぶのを聞くにつけ、既に息子が国際化社会の一役を担っているんだと感慨深く思わずにはいられません。


題名:温かい街

名前:松本由香さん

国名:ドイツ

  夫の転勤でドイツのミュンヘンに住んでいます。思い起こせば今でこそ笑い話にできますが、来た当初はなんでこんな遠くまで来てしまったのかと不安と寂しさで押しつぶされそうでした。しかし町を歩いているとミュンヘンにはそんな気持ちを吹き飛ばしてくれるような温かさがあります。ヨーロッパの人々は個人主義といいますが、それと同時に他人を尊重することや助け合うことも体の底から根付いているようです。1人で町を歩いているだけでも、何人もの人と関わります。道を尋ねられる場合も多いです。外人の私に聞くのはお門違い?!とは思うのですが私もわかる範囲で一生懸命に教えると最後は必ずお互いに笑顔で「Dank!」(ありがとう)「Wiedersehen」(さようなら)です。ドイツの駅ではエスカレーターが上り下り兼用になっていて、エスカレーターの手前にある床を踏むと動き出すようになっているのですが、大抵は上りの人優先になっています。ところが例外もあってベビーカーを押しているお母さんや体の不自由なお年寄りは上りはもちろん、下りだってエスカレーターのほうがいいはず。先日私が上りのエスカレーターに乗ろうとしたら、前に立ちはだかっている少女がいました。階段の上を見ていなかった私がエスカレーターに乗ろうとしたら、その少女に「上にベビーカーを押している女性がいるからエスカレーターを下りにさせてあげて」と呼び止められました。階段の上を見ると確かにベビーカーの女性です。なるほど! 「OK、私は階段を登るわ!」そう言って階段を登っている途中、ベビーカーの女性がエスカレーターで下っていくのとすれ違いました。
「Dank!」(女性)「Bitte!」(私)。もちろんベビーカーを一緒に持って階段を下りるのを手伝う光景もしょっちゅう見かけます。次は私もお手伝いしなきゃ!そう思えるようになります。そんな街がミュンヘンです。
 



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