題名:パリの引ったくり

名前:浅野 真佐雪さん

国名:フランス

   フランス競馬で最もオシャレといわれる、エルメス・ディアンヌ賞当日、シャンティ競馬場からの帰り道のことである。競馬好き三人組がパリ市内で道に迷い、Uターンするつもりで入った所は、一方通行の路地だった。
   車の前でアフリカ系の人達五、六人が、行く手を遮るようにウロウロとした。ブレーキを踏むと同時に悲鳴があがったので、驚いて振り返ると手さげバッグをめぐって、同乗の女性が頑強な男二人と激しく揉み合っていた。男達は手さげを引きちぎり、強引に彼女からバッグを奪って、走り去った。  
   恐怖に震えながらたどりついた警察署で、この地区では引ったくりはありふれた犯罪であること、地区の住人は襲う対象にならずによそ者を狙うこと、時にギャング化し警察を襲う場合もあることを知らされた。  
   自分はラシスト(人種差別者)ではないと思ってる。が、この時には、ある種の濁った感情が湧いてくるのを禁じえなかった。
「常日頃、偏見を持っていないと思っていても、こういうことがあると警戒しちゃうよね」軽い気持ちの本音である。
「でも、やっぱりそれは人によると思うわ」  
   そう彼女が答えたのを聞いた時、自分は日本人で、彼女が民族的な苦難をくぐり抜けてきたユダヤ人であることを、改めて意識した。彼女の鋼のような認識に、自分がはね返されるのを感じた。理屈では全くそのとおりだとしても、被害にあった当事者から、そのような言葉が出るものなのか・・・。  
   盗まれたバッグには鍵が入っているので、アパルトマンに侵入されるおそれがあった。警察署への届け出のすぐ後に、アパルトマンの錠前を取り替えなければならなかった。  
   その立会いで、彼女の隣の住人を紹介された。 「日本人?襲ったのは黒人?日本ではこういうことは無いよね。アイタタタ・・・」  
   流暢な日本語、柔和な瞳、紳士的な態度。彼もアフリカ系の人だった。  
   もう一度、彼女の言葉を思い返した。今度は、すとんと心に落ちた。



題名:勝負、一本

名前:奈良 涼子さん

国名:フランス

   フランスに住むのは初めてだが、外国暮らしが初めてじゃなし、自分の身の置き方は十分体得しているつもりであった。しかし、この国は私にこう言った。「ムハハハ。そう簡単にはいかんぞ、リョーコよ」  
   肉屋へ行った。昨夜から夫の前で練習した構文を、もう一度小声で暗唱する。私の番だ。緊張度百%のなか「ハムを三枚下さい」言えた。完璧だ。ブラボー。と、その瞬間「何だってぇ」と肉屋のおじさん。私は再度繰り返し言ったが、今度は「エーゴはわかんねぇな」ときた。私は全身が炎に包まれたかの如く熱くなり、無我夢中でハムを指し、「三(サン)、下さいっ」と言い、つり銭もそこそこに走って家へ戻った。  
   パン屋へ行った。そこの丸太のような太ったおばさんは、無言の行をしているのか一言も声には出さず、ギギッと私を凝視したまま今度もおつりをレジ脇の小皿に放り落した。二十サンチームがはじけて皿から飛び出した。  
   一体、私が何をした。何か今までと違う。これがフランスか。これがこの国のやり方か。そう、それなら私にも考えがある。一戦交える前に、まずは敵状視察だ。スーパーで、公園で、美容院で、私はじっくり人を観る。そして、いざ出陣。私はきちんと化粧をし、Tシャツではなくマダム然とした装いで、口許を真一文字にキッと引っ張り、顎を心持ち上げ堂々と歩く。そしてパン屋のおかみの目を見据えて、ここが肝心要の、日本語で話す時の二倍の大きさの声で用向きをきりだす。おかみはまるで私を初めて見るかのような顔をし、おつりを渡す時「メルシィ」と微笑みまで見せた。肉屋のおやじにいたっては、「良い一日をね、マダム」と予期せぬ挨拶で私を仰天させた。  
   何がどうなって、彼等の私に対する態度が一変したのかは不明だが、少なくともこの勝負、私の作戦勝ちとみた。そう、毎日がフランスとの勝負である。朝から晩まで、勝った負けたと大忙しだがそれがないとつまらない。  
   日本女(ニッポンオンナ)は強いのである。



題名:自分がされて嬉しいことをーきっと心は同じー

名前:鵜飼 喜代子さん

国名:イギリス

   「オー、マイ、ガーッド!」  
   ガソリンメーターに目をやった途端、私は、森中に響き渡る程の大声でそう叫んでいた。  
   既にメーターの針はエンプティを振り切り、すっからかんの状態を示していたのである。  
   その日は雲一つない快晴だった。太陽の光を心待ちにしていた私は、ガソリンの残量など気にも留めずに森へのドライブに出発してしまったのである。  
   さっきまであんなに美しく輝いて見えた緑の景色が、突然、色褪せたムーアに変わった。
   とてもこんな森の中にガソリンスタンドがあるとは思えない。スタンドを探して走れば走る程、どんどん森の深みにはまっていく。『どうしよう。こんな処で車が止まったら』。  
   私の呼吸はだんだん荒くなり、ほとんど酸欠状態になった。もう、何も考えられない。  
   ああ、神様!・・・祈りも虚しく、私の車は止まった。と同時に、目の前に一軒の小さな家が見えた。私は車から飛び降りると、なりふり構わずその家の庭に駆け込んだ。  
   そこでは三人の男女が楽しそうに談笑していた。だが、突然現れた東洋系エイリアンの姿を見るなり、皆、ピタリと笑うのをやめた。「ガソリンなし。車止まった。どうか助けて!」  
   パニック状態の私は、自分でも解読不可能な英語を必死になってまくしたてた。  
   すると、一人の女性が笑いながら家の中に入り、ガソリンのタンクを持って出て来た。  
   給油口にガソリンを入れる彼女の姿は、まるで女神様のように私の心に映った。  
   後日、私はまた森の中をドライブしていた。  
   英語の先生にこの話をし、この国ではお返しの習慣はないから私は何もしない方がいいでしょう?と訊くと、先生は逆に、 「もし貴方が彼女なら、どうして欲しい?」と訊いてきた。もし、私が彼女だったら・・・。  
   お礼のカードと日本製の小物を握りしめながら、私は庭を覗きこんだ。そこにはあの彼女が居て、私を見るとニッコリ微笑んだ。



題名:出会い

名前:納谷 葉子さん

国名:フランス

    フランスに滞在して三カ月目、わからないことだらけである。  
   今日も先生の言っていることがわからなかった。みんなの言ってることもわからない。言葉の壁は厚い・・・。  
   語学学校の帰りの電車で、わからないなりにも心を閉ざすのだけはやめようと考えていた時である。  
   車椅子に乗った一人の男性が電車に乗ってきた。彼は丁度私の前の踊り場に位置をとった。電車が大きくカーブしたとき、彼の車椅子が不安定に動いた。それはほんの少しだったかもしれない。がとっさに手が出て、車椅子を支えていた。  
   彼はこちらを見て、かすかに「メルシー」と口もとを動かした。ほほ笑みと共に。でも彼は上手くほほ笑むことが出来ない。重度の障害のため表情を作ることがとても難しい。  
   私は心の中で叫んでいた。「無理しなくていい。そんなに頑張って笑顔を作らなくていいよ」
   心を閉ざさないことに疲れていた自分自身も発見した。
   「無理はやめよう」  
   無理?でも、彼は笑いたかったに違いない。自分はどうなの?本当に無理をしているの?
   そんなことを考えているうちに、電車に乗ってくる人に押され彼から離れた所に流されていた。  
   次の停留所で降りようとしながら、こちらを見ている彼が目の端にうつった。目があった瞬間、遠くからフランス語になっていないフランス語が聞こえてきた。「オー・ヴォワール」一生懸命叫んでいた。  
   私に挨拶したい彼の気持ちが伝わってきた。  
   彼にとって挨拶をすること、気持ちを伝えることがどんなに難しいことか。  
   私だって気持ちを伝えたい。  
   言葉はそのためにある。表情は人間の気持ちを伝える大切なものである。言葉は習うためのものではなく伝えるためにあるんだ。  
   降りていった彼が電車の中から見えた。  
   一瞬の出来事が自分の気持ちを一転させた。気持ちを分かちあおう。自分を表現しよう。彼のように。




題名:ヨーロッパにもあった、人情

名前:石原 絹子さん

国名:ドイツ

   九十八年九月に、夫と私は、ほうきや雑巾を入れたスーツケースを手に、イギリスからドイツへ転勤してきた。到着初日は、もちろん家の大掃除の予定だった。ところが着いてみれば、大家さんとそのご主人によって、すでに家中の掃除は終わっていた。そればかりか、今日からすぐ住めるようにと、マットレスからトイレットペーパーに至るまで用意してくれていた。この三十代前半の大家さん夫妻の出現は私のヨーロッパ人に対するイメージを大きく覆してしまった。これまで私は日本以外の国で他人に、こんなに細やかな“気配り”をする人達に接したことがなかった。  
   それから約一年後、十一月末のある夜、私達は自宅の居間でくつろいでいた。すると、リスが雨戸の上を走るような“ぶるぶるっ”と言う軽い音が一瞬聞えた。と思うと、次の瞬間、フロアー全体の天井板が轟音とともに、頭上から一気に落ちてきた。三分ほどして、とっさに身を隠したテーブルの下から這い出ると、足の踏み場もないほど色んなものが床を覆っていた。  
   後日、この事故の原因は、娘夫婦のために大家さんのお父さんが張った、天井板の金具の強度が足りなかったせいだ、ということが分かった。幸い二人とも軽い怪我ですんだが、友人によれば、この場合、損害賠償の他に、慰謝料を請求してもおかしくないと言う話だった。  
   でも私達はそれをせず、まだ同じ場所にすんでる。何故かと言うと、もともと親切だった大家さん夫妻と、私達の隣に住んでいる大家さんのご両親が、この事故以来、前にも増して親切になったからだった。それにもう天井板は落ちてこないだろうし。  
   しかしこれでまた「日本人は、文句を言わない」なんて、たとえ話にされるだろうか。でも「ドイツ人は〜」とか「日本人は〜」と言うより、すべてのことは、個人の人柄や人間関係が基準になるのではないか、と今度は職人さんが張った天井板を眺めながら、私は思った。



題名:Mamma mia!

名前:山崎 准子さん

国名:イタリア

   ローマに来て二ヶ月。未だ家が見つからずホテル暮らしが続いていた。そんな時救世主の様にあらわれたのが、私が通うイタリア語学校の校長だった。校長と言っても三十五歳の博士号を有する文字通り才色兼備の女性だ。「夜遅くまで仕事をするので学校の近くにアパートを借りるから、今の私の家を貸してあげる」との申し出に夫と二人小躍りしたのもつかの間、翌日に「ごめんね、貸してあげられないの」と言われた。なんでも母親が反対したらしい。  
   アパートは彼女の持ち家であるし、その母親は遠い地方に住んでいる。なぜ?と聞くと、母親に「結婚するまでは同じ家に住むものです」と言われたとか。おまけに「仕事ばかりしていないで、早く結婚しなさい」と話は飛んでいったらしい。これには思わず苦笑いしてしまった。なぜなら私もずっと仕事をしていて、結婚したのは彼女と同じ三十五歳だった。その間独立したいと思った事が何度かあるが、その度に母親に反対され、逆らうことはできなかった。  
   そのいきさつを彼女に伝えると「こういう時にMamma mia!(なんてこと!)と言うのよ」と教えられた。家が借りられなくなったのは「Mamma mia!」だが、その原因が「Mamma mia(私のお母さん)」にあるのがおかしくて、二人で顔を見合わせて吹き出してしまった。そしてそれ以降私達の間には、お互い母親に頭が上がらない者同士としての親近感が生まれた。  そう言えば、裁判官をしているという父親の話が一度も話題にのぼらなかったのは、母親強しのあらわれであろうか。  
   その後さらに一ヶ月が過ぎ、ようやく家がみつかった。今度の大家は夫婦で弁護士事務所を開いている、まさに絵に描いた様なキャリア女性だ。不動産屋に連れられて契約に伺うと、彼女の母親が後ろに座って一部始終を見守っていた。Mamma mia!


題名:思い込み

名前:伊藤 奈津子さん

国名:イギリス

   「ベビーシッターなんて絶対使わない」 ひとさまに子供を預けてまで自分のやりたい事を優先させるなんて、この国ではこれが一般的であろうと私の身の丈には合わない贅沢な事だ、と思っていました。  
   「でもねぇ、案外子供の方が楽しみにしちゃってぇ。うちのは『お母さん、そろそろ夜のお出掛けないの』なんて言ってんのよ。」とベテラン駐在母はのんびりとした調子で話しています。これはロンドン生活の半年が過ぎた頃、「ベビーシッター」が話題になった時の事です。きっとこの時の私は、そうとう鼻の穴をふくらませ、「自分は正義だ」という顔をしていたことでしょう。  
   そして私のロンドン生活も一年になり、気持も明るくなる夏が来ました。ある日、同じフラットの住人で一番仲よくしているインド人の友達の誕生会の誘いがありました。しかも本人には内緒のびっくりパーティーでみんなで驚かそうというのです。私はどうしても一緒にお祝いしたいと思います。でもパーティーは近所のレストランで夜の八時から。その時間に主人は帰宅する事ができません。「よし、ベビーシッターさんを頼んじゃえ」環境が私の心を変えたのでしょうか。心配していた子供達の反応もケロっとしています。それどころかベビーシッターが帰った後、「次はいつ来てくれるの。おもしろいお姉さんで、人間の進化のお話してくれたんだよ」いつもと異う人と異う話をしてよほど新鮮だったのでしょう。子供達は眠いはずの眼を輝かせています。この日は寝る時間を無視して子供達の話を楽しみました。  
   「絶対」なんてそうそう使うものじゃないですね。「正義」なんてそんな単純なものではないんですよね。あまり肩肘張らずにいきたいものです。自分の思い込みの「良妻賢母像」が家族のみんなを困らせているかも、と思うとドキっとします。
 



------------------------ 第5回  入賞者一覧 ------------------------
一般の部 小中学生の部
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