題名:街角の響き

名前:鈴木 萌水さん

国名:オランダ

   みなさん、街角でちょっとしたすてきな音色を聞くと、心がホッとして、イヤな事もいつの間にか忘れてしまいますよね。私は、音楽の都、ウィーンで、さまざまな音色の響きを聞きました。
   日本は、とってもいろんな音があふれています。どれが何の音楽だかちっとも分からないくらい音がはんらんしています。なんだか心が落ち着きません。しかし、ウィーンでは、生の演奏、とっても新鮮な演奏が街に響いています。日本は音楽が響いていません。きっと新鮮な音色を流していると思いますが、いろんな音で、新鮮な音色が私達に伝わりません。音をもうちょっと減らせばきっと心が落ち着き、すてきな街でしょう。
   ウィーンの街で私は、いろんな人が音色を響かせているんだと思いました。障害者の人もとっても、すき通った声で歌を街中に響かせていました。ちょっと小声で歌っている障害者も一生懸命歌っていました。そこに、買い物をしていた女性が加わりました。そしてウィーンの人達が知っている、明るいすてきな歌を歌い始めました。そうしたら、街で買い物などしていた人が次々と加わり、ハミングをしたりして、あっという間にみんなの心が一つになりました。知り合いでもないのにこんなにすばらしい歌になるなんてすごいと思いました。音楽を愛する人達が歌えばすばらしい歌になるということが伝わりました。とっても楽しそうでした。最後はみんなではく手をしていました。私は、とっても感動しました。音楽はみんな楽しく歌ったりする街角の響きもすばらしいなと思いました。
   私は、オーケストラのようにいろんな楽器を使って大ぜいですてきな音色を聞くのもとっても、すごいと思います。でも、少ない人数で、ある一部の楽器を使って、または歌で私達をホッとさせるのも、すばらしいです。
   私は、街角の響きが大好きです。
   「あっ、流れている街角の響きが。心の中で」


題名:私とストリートチルドレン

名前:坂部 真理さん

国名:ケニヤ

   「キャー」と叫んだ私。それは、五年前、私が一年生の時、日本人学校のスクールバス発着所で、たむろしていたストリートチルドレンに、手に持っていた人形をとられてしまった時だ。よく覚えていないが、恐かった事は時々思い出す。
    だから、映画や食事で街中に行った時、道端にいるストリートチルドレンを見ると、きたなくて、あわれでそして私にはとても恐かった。
   母の友人にケニアの孤児やストリートの貧しい人の救護活動をしているNGOを主催している方がいる。去年の夏休み、そのNGOの方達といっしょに、スラムの中で、ストリートチルドレン達に給食配りをした。小さな子、大きな子、皆、並んで、給食の煮豆をもらい、NGOのお姉さん達と遊んでいた。でも私はシンナーを吸いながら、「オーマイフレンド」と寄ってくる男の子達が恐くて、すぐに車の中に入ってしまった。この子達が悪いわけじゃない、かわいそうな子達なんだ、と思ってもやっぱり恐くて、ちょっと気持ち悪かった。いっしょに遊んだり、傷の手当てを手伝っている兄を見て、私は自分が、情けなかった。
   先日学校で、そのNGOの方の講演会があった。その方ははじめに、紙のケーキを一つ出し、「このケーキをナイロビの人が食べます。この十分の九は、人口の一割の金持ちの人が食べ、残りは、その他の九割の人が分ける」と話された。何ということだろう。スラムに住む人口の半分の人達は、それでも一生けん命に小さな事にくよくよせず、どんな仕事でもしてお金をかせいで生活している。
   私は今、大きな家で不自由なく暮らしている。こんな私が小さな事で悩むということは、なんてつまらないのだろう。今度給食配りに出かけたら、私はストリートの子供たちといっしょに遊び、笑いかけることができると思う。彼らも、私も同じ地球の上に生きる人間なのだから……。



題名:やさしさをありがとう

名前:加藤 奈月さん

国名:トルコ

   トルコの人は、とても子どもが好きです。
   わたしの妹は、トルコで生まれました。名前はゆかで二歳です。
   ある日、歩いていると、大きな太ってこわそうなおじさんが、前から来ました。ゆかが近づくと、とつぜんにこっと笑って、
   「チョクタトゥルー」(とてもかわいいね)
   と言って、ほっぺをさわり、あやしてすぐに行ってしまいました。
   またある日、公園に遊びに行くと、ピクニックをしている若いトルコの人達がゆかを見つけて、「ワッ」と集まって来て、ゆかはつれていかれてしまいました。お父さんは、
   「あーあ。またつれて行かれちゃった。しばらくほっておこう」
   と言っていました。しかしあまりにも長くかわいがられていたので、お母さんが、ゆかを助けに行きました。ゆかもさすがに今日はつかれていました。
   また、レストランへ行くと、ボーイさんが、ゆかをだいて、おくへつれていくことがあります。けれどその後、ケーキなどをもらって、ゆかはうれしそうにもどって来ます。こういうことは、日本ではあまりありません。
   他にも、若くてきれいな女の人がゆかのほっぺにキスしてくれたり、自分のかみかざりをゆかの頭にとめてプレゼントしてくれたりといろんな人がかわいがってくれます。それに対してトルコ生まれのゆかはまったく平気でいつもニコニコしているのです。
   そんなトルコの人達のすがたを見ると、あなた達こそ「チョクタトゥルー」とわたしは心の中でつぶやいてしまいます。トルコの人達、わたしの妹をかわいがってくれてありがとう。やさしい心をありがとう・・・。



題名:普通に過ごす事

名前:加登 結衣さん

国名:ドイツ

   ドキドキしていた。すごく気が重かった。初めてドイツの学校に行った。私は、一年生に入った。実は、日本では、三年生なのに…。
   私は全然ドイツ語ができないので、一年生にいきなさい、とドイツの校長先生に言われた。年上ということがばれたりしないかと、だから、気が重かったのだ。
   クラスの子たちは、私にいろいろ話しかけてくれるけど、全然わからないのでニコニコしてごまかしていた。つまんないから、一人一人じーっと観察していた。すると、こんなことに気づいた。ぬいぐるみを抱っこして、学校に来ている赤ちゃんのような子がいたり、大人っぽい服を着ている子もいた。私一人が、二歳も年上なんだ。と、思っていたら、一番最初に仲良くなった子も、同じ年だった。私は、すごくうれしかった。仲間がいたんだ。お母さんが、その子のお母さんに聞いた。ドイツでは、自分の子供が、小学校で勉強するのは、まだ早いと思うと、一年遅らせる。全く反対に、五歳ぐらいでも、学校で勉強できると思ったら行かせる。みんなより、年上とか、年下とか関係なくふつうに過ごしている。とっても不思議だった。すごく勉強ができる子は、一学年上のクラスにいったりする。もう一回一年を繰り返して勉強する子もいる。これって、ドイツでは、あたりまえのことらしい。もし日本で、こんなことがあったら、ばかにされたり、競争したりするだろう。だから、私も初めてドイツの学校に入った時不安だったのかな。
   私もそうだったけど、日本ってみんなと違うとなんだかおかしい、と周りで思ったり、自分が思い込んだりしたけれど、結局むだだった。普通に過ごすこと、ちょっとみんなと違うこと、そんなあたりまえのことが、日本では、難しいのかなあ。そんなへんてこなことが、ドイツに来て初めてわかった。



題名:いろいろな国から来た子供達

名前:加登 杏未さん

国名:ドイツ

   アンゴラ、ボスニア、コロンビア、韓国、スリランカ、アメリカ、中国、日本、私の学校には、いろいろな国の子供がいます。
   私の友達にアンゴラとボスニアから来た子がいます。ぜんぜん聞いたこともない国でした。アンゴラの子もボスニアの子も、同じ国の中で戦争が始まって、住む所が無くなって、ドイツへ逃げて来ました。だから、その子たちは、ほとんど荷物もお金も持って来れなかったので、ベルリンが用意した家に五家族も一緒に住んでいました。
   まだドイツ語があまりできなかったころ、筆箱の中の消しゴムやえんぴつがよく無くなって困っていました。ボスニアの子がわたしの消しゴムをもっていました。お母さんに言ったら、「ボスニアは、東京のように、学校でコンピューターを使って授業をしたり、少し前は、オリンピックが開かれたのよ」。
   私はこの事を聞いて、ボスニアは貧しい国で、鉛筆や消しゴムもない所だと思っていたのに、びっくりしてしまいました。セルビア人、ボスニア人、クロアチア人など、いろいろな人が、仲良く暮らしていたのに、急にその人達が、私の国だからでて行ってちょうだいと、言って鉄砲や、爆弾を使って戦争が始まった。ドイツに暮らしていて、急におとなりの人から、鉄砲で日本人は出て行け、と言われるようなことなのか。どんなにショックで、悲しくて、くやしかっただろう。お母さんが、「消しゴム返してね。あなたのお誕生日にプレゼントするから」、というとその子は、次の日返してくれた。すっごく頭にきていたけど、なんだか許せた。それは、その子のことが少しわかったからだと思う。大人も戦争する前に相手の事を、わかるように努力すれば、戦争は起きないと思う。
   ドイツには、いっぱいいろんな国の人がいて、わたしはみんなから大切なことを教えてもらっています。



題名:二つの故郷

名前:川島 剛さん

国名:ドイツ

   六年前、日本の地から飛び立った時の様子は鮮明に覚えている。出発直前までラグビーの練習に行ってた事など、自分でも不思議なぐらいだ。僕は思春期を今や故郷ともいえるライン川のどっしり横たわるドイツに住んで、僕自身がいろんな意味で変わり、一人の人間として成長した。その後、フランクフルトからデュッセルドルフに引っ越し、僕は日本人学校からインターナショナルスクールに移った。フランクフルトにいたとはいえ日本人学校に居たためドイツ語は話せないし、もちろん英語など習った記憶はない。その時助けてくれたのは一人の韓国人の同級生だった。僕が何をするのか分からなくておどおどしている時、その同級生が来て助けてくれたり、その子の家に呼んでくれたりしてくれた。同じ肌の色を持つと言うのに未だ戦争後の関係を引きずる韓国人と親友となれるなんて!僕がインターナショナリズムを深く考えるようになったのはその頃からだ。それから、僕は内面を見て友達になるようになった。友達と言うのは国籍も人種も関係ない、人と人の強い関係なのだ。日本は島国だから他の人種と会う事は少ないかもしれない。しかし僕の見る限りではここで暮らす多くの日本人ですら、積極的に世界各国の人々と付き合おうとはしていない。たくさんの国からきた人達とはなすのはとても楽しいし、それに何よりも英語をもっと勉強してもっと友達の言ってる事を理解したいと思う。一人一人が自分の信念と自国に対するプライドを持ち、それが調和していく学校に行ける事を僕は誇りに思っている。インターナショナルスクールに通った事に限らずヨーロッパに暮らす事で僕は現代の日本人にない生きる力を感じた。そして、僕はその力を持った人になるため残り少ないヨーロッパ生活を謳歌したい。いつか、僕は必ず戻ってくるだろう。もう一つの故郷に。僕のインターナショナリズムを求めて。


題名:私にとっての国歌

名前:金原 聡子さん

国名:アラブ首長国連邦

   私が初めて日本の国歌と日本人について疑問に思ったのは、トルコのイスタンブールインターナショナルスクールに通い始めた四年生の頃でした。その学校にはUNデーという、それぞれ自分の国の民族衣装を着たり、食べ物を持ってきたりする日がありました。先生が順番に自分達の国歌を歌いなさいと言うと、みんなから歓声があがりました。ところが日本の番になると、急に静かになりました。日本人はたくさんいたのですが、私ともう一人の女の子以外は黙って下を向いているのです。先生がどうして歌わないのか聞くと、その子達は、知らないから、と答えました。他の国の子達の驚いた顔が忘れられません。
   今年の夏、君が代を国歌とする法律の事を知り、私はショックを受けました。なぜかというと、今年で建国二十八年のUAEでさえ国歌があるのに、長い歴史を持つ日本に今まで法律で国歌が決まっていなかった事が信じられなかったからです。
    たしかに、君が代は天皇や戦争との関連があるかもしれませんが、でも日本の国歌は必要です。もし歌詞が問題なら、旋律だけでも胸を張ってみんな歌ったらいいと思います。
   また、新聞で読んだ日本の中学生の、なぜ国歌を歌わなければいけないのかという意見が悲しく思えました。国歌を歌うのは、自分の国を誇りに思っているからだと私は思うからです。私のギリシャ人の友達は愛国心が強く、いつも、
   「私はギリシャを愛している」
   と言っています。
   私は日本を愛していると日本人が言うのを聞いた事がありません。 私は海外に住んで、日本人であるという事を自覚する様になりました。日本に住んでいた頃はそれはあたりまえの事でしたが、海外ではそれが私のアイデンティティーです。私は日本人なので、日本の国歌を歌います。
 



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