多様化する生き方
浮き彫り
一般の部

   ベルリンの壁の崩壊からすでに10年。コンクリートの壁は壊れても、まだまだ海外生活の中には言葉の壁、文化のかべ、価値観の壁など目に見えない壁がある。日々、言葉の壁に直面する主婦は、健常者から聴覚と言葉の障害者になったも同然なのだ。思うに、海外で暮らすということはある面において、弱者・障害者として暮らすことでもある。コミュニケーションがうまくいかないことが重なれば、卑屈にもなるし、対等な関係を築くのに絶望し自分の空荷閉じこもってしまう。今回、対象に推した鵜飼喜代子さんの「勇気をもって 私を大きく変えた小さな出会い」は、自分の中の壁を打ち破って、勇気をもって自分を伝えようと決心する話である。ビールを買いにいった先で出会った店員に英語が通じないとおもったところ、じつは、耳と言葉に障害を持っていたことが判った。筆談でコミュニケーションが成立して、彼女自身も、自分の殻を打ち破ることが出来たのだ。自分は今まで諦めて伝えようと努力しなかった。文字で「あなたの親切、本当にありがとう」と伝えた後の素晴らしい出会い。単に意志が疎通したというのではなく、お互い、どのような思いで生きていたのかが理解できたのだ。
   優秀賞に推した「簡単に謝らないのは普通」は、車を追突されたと思ってきつく相手に対応したら、後日、ぶつかったのは自分であることがわかった。期せずして「簡単に謝らない人」になってしまったが、その時「盗人にも三分の理」というか初めて明らかに間違っている日とにも正当性を主張する権利があるというフランスの文化、土壌を理解したというものである。一見、何不自由なくフランスで暮らしていても、表層的に同化しているだけなのかもしれない。思いがけず立場が逆転することによって、初めて根底にある文化を理解したのだ。それはとりも直さず何年経っても変わらない自らの国民性のようなもの、「悪ければすぐ謝った方が気が楽」という日本人的感覚、を再認識する機会でもあった。
   しかし、もう一つの優秀賞の「転換期」で困惑する父親は、海外で成長していく娘が、日本語を話してはいても、すでに言葉でも思考の上でも、日本語と英語が逆転しつつあるのを見て、焦ってしまうのだ。母国語とは何か、何かアイデンティティなのか、そしてそれが愛する娘の幸せとどう繋がるのか、親の世代にとって道の世界である。新世代の若者たちは独自のアイデンティティを形成していくのだろう。
   時代の反映か、今回は高齢者問題、ゴミ問題、安楽死、など日常生活に根ざした題材が多かったように感じる。それだけ今や国境を越えて共通の課題がある証拠だろう。また、老後を海外で暮らす夢を実現した元気な行動派、悠々と海外生活を続けている国際派、老後の自立を学ぼうとする自立派、「骨は日本で」などという演歌派は見当たらず、なかなか日本人の老人力もパワーアップしてきているように見受けられる。
   また、趣味で海外生活を豊かにしている人等、男性たちも多様な行き方を模索しているように見受けられたが、今回も感じるのは女性たちのエネルギーである。野心的な独身女性たち、任期が限定されている駐在員の妻は孤軍奮闘中、国際結婚した妻たちの溢れるようなバイタリティ。しかし、その源にある弱者へのいたわりや優しさを持ちつづけてもらいたいものだ。

 

 

身近な国際問題
生き生きと

小中学生の部

   小学校中学校を海外で暮らすということは、言葉の問題、生活習慣の問題、さまざまなハードルがあるだろうが、突然「ガイジン」になってしまった時から、胸を張って自らのアイデンティティを誇れるようになるまで、どのような葛藤や紆余曲折があるのだろうか。
小学生のエッセイは、日本とちがう生活の中で友人・隣人との出会いの新鮮な感動と生き生きとした視線が感じられる。激変する環境への不安は、家族の絆を強め、出会った友達との友情を大切にする。小さい時に外国で大切にされ愛された体験は、どんな言葉や主義主張よりも貴重だろう。あらゆることを学びとって成長してゆく子供の生命力に、むしろ大人の方が勇気づけられる。
   中学生のエッセイでは、半世紀以上も前の戦争について、改めて学び直したいと目覚める中学生、国を愛するということがどういうことなのか、自分の国を誇れるようになりたいと、国家を歌う決心をする中学生。結局どんな状況においても自分は自分なのだ、と自覚する時、自分の打ちなる精神と外国という環境が融和して、個人のアイデンティティとして確立されていくのだろう。今ではアイデンティティとして「帰国子女」と自ら名乗る人も珍しくない。
   今回、大賞に推した「ありがとう、ウィーンのおばあちゃん」は、到着5日目の出来事である。ウィーンで迷子になった不安と、親切にしてもらった喜びが合体して、「ドイツ語を習って、親切にしてくれたおばあちゃん達に日本のことをいろいろ話そう」と決心する心の有り様は、何のために学ぶのか、という根幹にふれることだと思う。
   また、優秀賞に推した「みんなちがってもいい」も、同じでなくてもいいのだ、ということを発見した喜びがあり、もう一つの優秀賞の「生きようとする意志」には、ケニアの総人口の10%が国の収入の90%を得ている、そして日本人もその10%に入っていると知った時のショックと、スラムに住む同世代の子供たちのいきようとする意志への共感がある。子供たちがお互いを「同じ地球に住む同世代」と実感できるとすれば、地球の未来にも希望がある、と言えるのかもしれない。
   子供たちは身近なところで国際問題を学んでいるのだ。同じクラスの友達で消しゴムを盗んだのがボスニア難民ならば、ある日突然追い立てられたら自分はどうなるのか、相手の立場を想像してみようとするし、困ったときに助けてくれたのが、未だ戦争の影をひきずる韓国人であるならなおさらショックだろう。
   子供たちは、どんどん自分の殻を破って、しなやかに、軽々と国籍や人種や貧富の壁などの垣根を飛び越えて、「みんなちがってみんないい」「地球人」「インターナショナル」へと移行してゆくようだが、しかし、大きく飛び越えるためには、自分の足元の地面を強く蹴らなければならない。固い地面であるはずの日本という国が、軟弱で心もとなく見えるとしたら、不幸なことだ。貴重な国際感覚を持つ彼らが胸を張って「日本と愛する」といえる国であって欲しい、とつくづく思う。





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