| 小中学生の部
小学校中学校を海外で暮らすということは、言葉の問題、生活習慣の問題、さまざまなハードルがあるだろうが、突然「ガイジン」になってしまった時から、胸を張って自らのアイデンティティを誇れるようになるまで、どのような葛藤や紆余曲折があるのだろうか。
小学生のエッセイは、日本とちがう生活の中で友人・隣人との出会いの新鮮な感動と生き生きとした視線が感じられる。激変する環境への不安は、家族の絆を強め、出会った友達との友情を大切にする。小さい時に外国で大切にされ愛された体験は、どんな言葉や主義主張よりも貴重だろう。あらゆることを学びとって成長してゆく子供の生命力に、むしろ大人の方が勇気づけられる。
中学生のエッセイでは、半世紀以上も前の戦争について、改めて学び直したいと目覚める中学生、国を愛するということがどういうことなのか、自分の国を誇れるようになりたいと、国家を歌う決心をする中学生。結局どんな状況においても自分は自分なのだ、と自覚する時、自分の打ちなる精神と外国という環境が融和して、個人のアイデンティティとして確立されていくのだろう。今ではアイデンティティとして「帰国子女」と自ら名乗る人も珍しくない。
今回、大賞に推した「ありがとう、ウィーンのおばあちゃん」は、到着5日目の出来事である。ウィーンで迷子になった不安と、親切にしてもらった喜びが合体して、「ドイツ語を習って、親切にしてくれたおばあちゃん達に日本のことをいろいろ話そう」と決心する心の有り様は、何のために学ぶのか、という根幹にふれることだと思う。
また、優秀賞に推した「みんなちがってもいい」も、同じでなくてもいいのだ、ということを発見した喜びがあり、もう一つの優秀賞の「生きようとする意志」には、ケニアの総人口の10%が国の収入の90%を得ている、そして日本人もその10%に入っていると知った時のショックと、スラムに住む同世代の子供たちのいきようとする意志への共感がある。子供たちがお互いを「同じ地球に住む同世代」と実感できるとすれば、地球の未来にも希望がある、と言えるのかもしれない。
子供たちは身近なところで国際問題を学んでいるのだ。同じクラスの友達で消しゴムを盗んだのがボスニア難民ならば、ある日突然追い立てられたら自分はどうなるのか、相手の立場を想像してみようとするし、困ったときに助けてくれたのが、未だ戦争の影をひきずる韓国人であるならなおさらショックだろう。
子供たちは、どんどん自分の殻を破って、しなやかに、軽々と国籍や人種や貧富の壁などの垣根を飛び越えて、「みんなちがってみんないい」「地球人」「インターナショナル」へと移行してゆくようだが、しかし、大きく飛び越えるためには、自分の足元の地面を強く蹴らなければならない。固い地面であるはずの日本という国が、軟弱で心もとなく見えるとしたら、不幸なことだ。貴重な国際感覚を持つ彼らが胸を張って「日本と愛する」といえる国であって欲しい、とつくづく思う。
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