題名:「簡単には謝らない」のは普通

名前:丸山晶(まるやま あき)さん

国名:フランス

   パリの西郊のサンジェルマン・アン・レ−市は緑豊かな丘陵の街である。私がその日信号待ちをしていたのは、この街で一番低い平地にある交差点だった。ギアをニュ−トラルに入れ、ブレ−キの足を緩めホッとしていたのも束の間、「ドン」、いきなり後ろから追突された。私は不満を顕{あらわ}にして車を降り、後続車のマダムに、「何をしてるんですか!」と怒った。彼女は慌てもせず降りてきて、両車を見較べながら、「大した事ないわ、心配しないで。」と逆に親切顔。ぶつかっておいて、これである。半ば呆れて、「だけど気をつけて下さい!!」と私はきつく言い放って車に乗った。
   数日後、私は偶然、同じ交差点で、同じ様に信号待ちをしていた。ニュ−トラルを確かめ、ブレ−キの足を緩めた途端、私の顔から血の気が引いた。静止している筈の私の車がゆるゆるとバックしているではないか。慌ててサイドを引き、既(すんで)の所で後ろの車にぶつからずに済んだが、あの時のマダムの、「心配しないで。」の意味がようやくわかり、顔から火の出る思いだった。平地の様に見えたその場所は、実は僅かに上り坂で、ぶつかったのは私の方だったのだ。
   自分の非礼を反省しながらも、なぜ彼女は私を否定しなかったのだろうと考えた。そして今更ながらにフランス人のある特長を思い出したのだった。それは、この国の人々は明らかに間違っている人にでも、正当性を主張する権利があり、ともかくはその理論に耳を傾けようとする、というものだ。その根底には、人間は基本的には悪気はない、という寛大な精神と、理論による説得力を重視する、という国民性があるのだと思う。多くの人に迷惑をかけながら結局は国民の支持を得る悪名高きメトロ等のストにもこうした背景があるのだ。しかし在仏七年、随分慣れたつもりだが、“悪ければすぐ謝った方が気もラク”{ラクの上に・・}と考えてしまう日本人的感覚は、たぶん私から消え去ることはないだろう、と思うのである。




題名:転換期

名前:西村泰男さん

国名:スコットランド

   「パパ、それは現実ト−フィだよ。」
   と、一番下の娘が言う。
   「パパのアタマのカワがどうかしたのか?」
   と、皮肉で応じるのだが、もちろん娘には何のことだか分からない。
   「ト−フィじゃなくて、逃避。ト−フィだとお菓子のト−フィみたいだろ。」
   娘の唇が小さく、「オ−、イエッ」と呟くのが見えた。
   そろそろ逆転が来ているのではないかと気づいてはいたが、それを目の当たりにすれば少なからず焦る。一日に八時間以上も学校で英語の世界に占拠され、家に帰って来ても見ているテレビは英語。親や兄姉との会話は、さすがに日本語ではあるが、そう何時間も続く訳ではない。一日の大半はやはり英語だ。日本語は健闘むなしく、環境の力によりその座を明け渡そうとしている。
   時々英語で話しかけてみる。一瞬困惑した表情の後、日本語訛りの英語が返ってくる。父親に遠慮しているのか、父親の英語の日本訛りに引きずられるのか。しかし、友達から電話がかかってくれば、語尾が妙に間延びしたコテコテのスコットランド訛りだ。キャッキャッという笑い声まで英語に聞こえる。
   いったい母国語とは何なのだろう。ことばと人間のアイデンティティ−はどう関わるのだろうか。日本人であろうとする事が、はたして正しいのだろうか。この娘の幸せと日本語はどう結びつくのだろう。答えはまだ見つからない。一緒に暮らしながら、娘が遠くに行ってしまったような漠とした怖れが残る。末娘なんてそんなものだろうという自分で考えた馬鹿な結論を、頭を振って打ち消す。何といったって、まだ十一歳なんだから。
   「授業が終わってからどうしていたの?」
   「道草とってたの。」
   テイクといいたいのだろうなぁと思いつつ、父親は頭皮を掻くだけである。


 



------------------------ 第4回  入賞者一覧 ------------------------
一般の部 小中学生の部
[ 最優秀賞優秀賞佳作 ] [ 最優秀賞優秀賞佳作 ]
BACKHOME