題名:一つの個人主義

名前:山口妙子さん

国名:フランス

   フランスでパティシェ研修生とし、フランス人と供に過ごすこと一年。「神経質で非効率、プライドが高い」とは、一般に云われる彼らの姿。ある在仏日本人が「ビジネスの国ではない」と嘆いていた。一種の個人主義。
   なるほどと納得。自分の作るケーキ、一箇所思い通りにいかないと大きな溜息。文句。八つ当り。本人が勝手に失敗したのだ、独り謙虚に反省しろと何度言ってやろうと思ったことか。彼はもう誰とも口をきかない。上機嫌は次回の大成功までおあずけだろう。
   忙しくピリピリ働くシェフ。口癖は「時間を上手くつかえ」。ある日職場にかかる電話、応える時間を惜しそうに受話器をとれば、五歳の娘から。「可愛いですね。見たいですよ」と冷やかした、その翌日。名前を呼ばれ何をしたかしらと不安を胸にオフィスに入る。娘の写真をもってきて、嬉しそうに説明をはじめる。そんな日に作るケーキは一段と素晴しい。ほほ笑ましい程、家族愛に正直だ。
   遅刻は一分たりとも許されない。かといって十五分早く来て先に仕事をはじめていると、「私が時間内に仕事を終わらせられないと思ってみくびっているのか」と一言。
   仕事と私生活間の一線の引き方が違うのだ。私生活=家族・友人・恋人・自己の喜怒哀楽である。仕事=自分の聖域というプロ意識。この二つは互いに独立し他人の踏みこめない領域であり相互にこの個人主義を主張し尊重する。そんな社会だから長期休暇が成立する。
   そういえば父キトクで帰国した時のこと。旅行会社へ駆けこみ今すぐ日本へ帰りたい、と航空券を購入。事情を察してくれたのか、店員はすぐに空港まで車をだしてくれた。突然の閉店に他の客は「仕方ないか」と一言。日本だったら認められただろうか。とにかくお陰様で父の最期に会うことができた。
   確かに効率は悪いが、いいじゃないかと感じ始めた。自分に関わる全部を大切にする文化の結晶か。宝石のように美しい菓子達は。




題名:折鶴に祈りをこめて

名前:Taiko Chandlerさん

国名:イギリス

   「私ね、自分が子宮癌と知ってから、一瞬をも大切に生きようと意識する様になったのよ」。それまで家族の事やクリスマスをどう過ごしたか話していたのに。思いもよらないMさんの言動に咄嗟に返す言葉が見つからない。柔らかい光りが射し込む病室の窓際で、シャンプー後のMさんの髪をドライヤーで乾かしていた時のことだ。
   渡英して半年後、看護婦の資格を取るためのトレーニングを始めて四ヵ月経った頃のことで英語を使ってのコミュニケーションにはまだまだ多くの時間とエネルギーを要していた。
   元美容師で四十代のMさんは、昨年子宮癌の手術を受けた。抗癌療法を来週に控えていた矢先の事、定期検診で異常を指摘され、急遽入院となり、精密検査を兼ねての手術を明日に控えていた時、私の受け持ちをなったのだ。
   再発の疑いを消せない苦悩の中、どんな思いで明日手術室に向かうのだろう。彼女の胸の内を考えると、いても経ってもいられない気持ちになった。どうやって力づけてあげられる?英語での適切な言葉が見つからない。
   咄嗟に何を思ったのか、私はユニフォームのポケットからメモ帳を取り出し、一枚の紙で鶴を折りMさんにあげた。私の母国で折鶴は平和のシンボルであり、幸せや健康への願いを込めて贈るのだと。
   手術の翌日、Mさんの様子が気になりすぐ病室に向かった。ドアを開けると同時にMさんを始め、彼女の夫、看護婦が拍手している。「えっ?」一体皆どうしたのか。「Thank you very much for your wonderful support!」というのも、昨日Mさんは手術室で全身麻酔がかかる直前まで、しっかりとあの折鶴を両手に握りしめていたのだという。
   一羽の折鶴が、思いがけずMさんの手術に対する不安を最小限にしてくれたらしい。
   この時ほど、自分が看護婦である以上に、日本人である事に誇りを感じた事はなかった。



題名:連絡は困った方から

名前:馬場さかゑさん

国名:スウェ−デン

   遅くとも六月の終わりには届くと言っていた新車が、七月になっても何の音沙汰もない。
   担当のセールスマンとは、なかなか連絡がつかない。なにしろ、折り返し電話というのが、かかってきたことがないのだ。
   ようやく、つかまえると、全然悪びれた様子もなく、「七月の半ばまでには、届きます」などと言う。「電話くださいってお願いしたんですが」と聞くと、「あ、すいません。昨日は、女房の用事で早く帰ったモンですから」と、全然済まなさそうではない口調。
   七月の半ば、もちろん連絡はない。電話をすると「休暇中」。ならば、他の社員が、と思うのは日本人。ここでは、担当者以外は事情がわからないことになっている。
   スウェーデン人の夏休みは平均四週間。いつまでも、レンタカーを借りつづけるわけにはいかない。待ちに待って、ふたたび、電話。何度かの努力のあと、ようやくつかまった。どっちが、客だかよくわからない。
   すると、知人が教えてくれた。
   「この国ではね、困った方が電話をかけるんだよ。セールスマンは、もう契約をしてしまったのだから、困るのは、こっちの番なんだ」
   なるほど、それで総て納得がいった。レンタカーの替わりに無料の代車を出してもらうように、交渉すると、これは、すんなりOK。こちらが、拍子抜けするほど簡単である。
   これじゃ、国際競争力なくなっちゃうよね。といいながらも、あくせくしないで、働いているマイペースの姿には、目からうろこの思いも。
   九月の半ばになってもまだ、車は届かない。でも、もう電話はしない。今度困るのは、そっちだから、そっちから電話してね。




題名:ロシアは深い

名前:遊佐 弘美さん

国名:ロシア

   あの頃はよく祈ったものだ。普段は宗教に縁がないが、すごく傷ついた時、何かを心から恐れた時、やはり祈りたくなる。私は真剣だった。
   一九九八年八月、ロシアに金融危機が起きた。目の前で経済ががらがらと崩れていくような気がした。一週間で値段が二倍になり、銀行は預金や年金の支払いを止め、街からは物が消えた。私は飽食の日本に生まれ育った二十九歳、スーパーの棚に物がない、という経験をした事がない。
   ロシアはこれまで危機だ、危機だと言われていたが、一九九七年から経済回復の兆しが見えていた。各国から流入する輸入品がデパートにもスーパーにも盛り沢山で、お金さえ出せば東京にいるのと変わらない生活ができる。ああ、せっかくこれからだったのに、と思うと悲しかった。通りを歩く人々はまだそんなに切羽詰まっていない。パニックになったのはロシア政府やロシアの銀行に莫大なお金を貸していた西側の投資機関である。ドイツ銀行の友人は「毎朝、全てが悪い夢だったと願って目を開ける」とやつれた顔でつぶやいた。
   あれから一年。私はロシアを見くびっていた。道行く人々の風景は変わらない。世界を駆け巡った「銀行に詰めかける市民」の画像ももちろん真実だが、銀行に預金する人などごくごく一部なのである。だから、輸入品のデパートに行かず、銀行も政府も信じず、日頃から仲間や親戚と助け合って生活を築いてきた人々がほとんどで、彼らは陽光きらめく中、アイスクリームをなめながら、変わらず優雅に散策している。
   「前より贅沢できなくなった」とは聞くが。祈ったのが馬鹿みたいだった。あっと言う間に物も戻ってきた。世界は需要と供給で成り立つ事を実感する。政府が動かなくても、買える人がいる所に売る人が物を届けるのである。確かに全体で見れば貧しい人も増えたのだろうが、それは資本主義社会に移る段階で、避けることのできない現象であろう。一般の人々は相変わらず、世紀末を感じさせる日本よりずっと幸せそうに散策している。



題名:主婦として自立した私

名前:安田 桐子さん

国名:ドイツ

   東京で毎晩十時過ぎまで仕事をしていた私が専業主婦初体験。意に反し主婦業は面白く楽しく、結果生ゴミが出る。でもそんなの気にしない。るんるん、あれえ、ゴミ集めに来ないな、ま、いいか。だが、待てど暮らせど収集車が来ない。朝晩ポリバケツを覗き込む主婦の私。極楽とんぼの私も十日目を過ぎる頃には変だと気づいた。だって蛆虫が‥終にゴミ袋がバケツの上にはみ出す始末。困った、東京では二日に一回来てくれたのに。ドイツの税金は高いのに。何故??二週間が過ぎた或る日、静かに収集車が来た。やったね。小躍りしながら見にいくと、はみ出したビニール袋がぽつんと一つ。私が何をしたって言うの!お願い持ってって!そして蛆虫も残された。亭主は仕事。帰るまで待っていると蛆虫が這い出してくるかも。困った。とにかく熱湯!そう、それに漂白剤、洗剤、何だか死にそうに思える物を「スーツとハイヒールの私」が「阿修羅の如き顔」で運び、立派に蛆虫と戦う姿は亭主にも同僚にも見せたくない。何を隠そう逆毛立つ程の虫嫌いなのだ。東京では二日に一回、火、木、土。東京では‥。後日、収集は二週間に一度だと判明。我が家の契約はバケツ一杯分のゴミ。だからはみ出し物は置いて行くのだ。蛆虫と戦う位ならゴミを減らすと決心してからは早かった。見る間にゴミの量は四分の一。ゴミまで食べている訳ではない。ゴミを出さぬ生活にしたのだ。週三回は特別なのだ。そう、ココは東京では無く外国なのだ。二度と阿修羅にはならない。リスやウサギが庭に訪れ私の顔はまるで仏様。しまった、体形も穏やかに丸くなっている。ああ、もう遅い。だって心がトゲトゲする事が無くなり、あんなに望んでいた自分の時間は溢れるほど有り、ゆったりと雲が流れて行くんだもの。東京に戻れば何だか忙しくて又痩せるわよ。そう、忙しいという字は心を亡くすと書く。今の私には穏やかな心が有る。だから丸くなっても構わない。




題名:お義母さまの質問

名前:奈良 涼子さん

国名:フランス

   私の姑はフランス人。八十一歳。
   結婚当初、私が実家の母からいわれたとおりに、”お義母さま、私がしますからあちらでゆっくりなさって下さい方式“でいこうとすると、必ず姑は「私は疲れてないの」と言う。そして台所仕事をしながら次々と私にきいてくる。「日本に電子レンジはあるの」「日本に冷蔵庫はあるの」と。私が「ある」と答えると、実に不思議そうに「一体どうしてフランスと同じ物が、日本に存在するのかしらねえ」とつぶやく。
   最初はこれがフランス式嫁いびりかと、嫌な気持ちさえしたが、一年たち二年たつうちにわかってきた。姑の頭の中では、ハイテク産業最先端の日本のことと、実生活においてのことはまったく別個なのである。悲しいかないくら説明しても、実際に日本に来て、御自分の目で御覧にならない限りは、お義母さまにはおわかりにならない。
   またお義母様は、二十年来の愛車を運転しスーパーへ買い出しにも行く。高齢の姑が一人で、それも車で買物なんて、もしもの事があったらという日本の嫁の心配は微塵も察することなく、「涼子は私と一緒に来たいのね」とくる。そしてUターン禁止の所も「私は、ずっとここでターンしてるの」となんなくUターンするし、スーパーでは自分がそれを買うのでもないのに、係の人を呼びつけ、値段表示の誤りを指摘する。そんなの関係ないからどうでもいいのにと思う日本の嫁と、自分の信条に従い白黒はっきりさせる姑。新し物好きの嫁と、彼女の祖母の代からの、片面が半分すりへった大匙を今だに使う姑。
   「涼子、ウイ(はい)の後にはメ(でも)という言葉はこないのよ。ウイならウイ、ノンならノンよ」私は姑からフランス人的精神を学び、姑も私から何かを学んでいるはずなんだけど、本日のお義母さまの御質問は「日本にアイスクリームはあるの」だった。



題名:息子の看護体験

名前:室井 明さん

国名:スイス

   スイスで、大学医学部の受験資格に、病院や医療老人ホームで看護の経験を条件とする案が出た。病人のおしめを取り替えたりすることが、自分に適さないと思ったら医者を志願するなということである。予算などの事情で未だ実施はされていないが、医学部志望の息子は、先取りしたいと高校の夏休みに、大学病院の看護手伝いに採用してもらった。
   初めに訓練がある。大変興味を持ったことは、看護実技はさることながら、重点が患者への接し方、痛みを理解し、勇気と希望を与える態度を躾ようとしていることであった。
   例えば、癌の疑いのある献血志願者の心を傷つけない断り方まで、マニュアルは及んでいる。
   所詮手伝いであるから、最初の大命は手術がこわくて逃げ出した少年を捜し出して、心配するなという仕事だったとか、今日は、水道の音がすると排尿困難がなくなると言うおばあさんがいて、トイレに入っている間中、外で水道を流すバックサウンドの仕事だったとか、他愛のない話である。
   日本の同志望の若者達が受験勉強に全精力をかけて励んでいる時に、息子は学力と関係ない看護の体験に時間を費やしている。これで良いのかと、初めは考えたこともあった。しかし彼の年齢で、死に直面している患者に接した時は、深く心に感じたものがあったように見えた。人を助ける医者になろうと益々意志を固めたようだ。
   看護の経験を受験資格へとの案は、すばらしい副作用を息子にもたらしてくれたと思う。介抱する患者さんに情が移った息子が話す、日々の看病の様子を、私は嬉しく聞いている。なぜだろう。やはり私も、痛みに心の通う優しいお医者さんにみとられたい、息子もそう育って欲しいと思うからだろう。


 



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