題名:英国、韓国、日本、そして私が会った日本人

名前:Chung Farrowさん

国名:イギリス
インタビュー

   昨年七月、主人と二人の子供の手をつなぎ、念願の大学の卒業証書を受取った。それも他国で…。終戦直後の極貧の韓国で中学の一般教育を何とか終えた私にとって、英国の大学の卒業証書は単に私の個人的な成功のみならず、誰もに生涯教育を与える英国の教育制度の偉大さを示すものだった。
  批判的であること自体が罪であり、言論の自由が制限されていた六〇ー七〇年代の韓国で教育を受け、繰り返し記憶した単純な年号や支配者の名前、または「勇敢な韓国人、極悪非道な日本人」という偏った知識しかなかった私には英国で客観的に学んだ東洋史は大きな衝撃だった。
  韓国で私は日本人に対して良い話を聞いたことが無かった。私の両親を含む多くの韓国人が日本の戦争に強制徴用された家族と再会できなかったことを考えると理解できるのだが、客観的な立場で学んだ東洋学は、歪曲した歴史の教え方がどんな悪影響を与えるかを教えてくれた。私が学ぶのを諦めていたら当時の多くの韓国人のように今日も日本人をブタ野郎と呼んでいただろう。
  日本研修が決まった時、強い反日感情を持っていた私が日本人家庭にどう受け入れられるか非常に不安だった。しかし、思いがけず、同じ戦争で被害を受けた普通の人の美しい話を聞けることになった。 東京の中村さんは、四歳の時北朝鮮で軍人だった父親が終戦時にソ連の捕虜としてシベリアに連行され、母親とお姉さんと他の日本人と一緒に釜山まで歩いて行かなければならなかった。途中で寒さと飢えの為に母親とお姉さんが亡くなり、中村さんだけが四カ月後に釜山に到着した時、履いていた下駄が履きつぶれていたそうだ。
  釜山で何とか漁船を借り、持ち主の韓国人が出発時に暖かいご飯とキムチを振る舞ってくれ、その時のご飯の味は一生忘れられない、今度は韓国人の私を預かり、恩返しができたようで嬉しいと彼は涙ながらに言った。あの時の空腹と恐怖の経験に未だに悩まされ、外国に出られずにいる彼には戦争の傷は今でも現実なのだ。私のそれまでの強い反日感情はこれから徐々に薄れて行った気がする。
  中年の、それも外国人の私に学ぶ機会を与えてくれた英国にいつも感謝しながら生きている。大分遅れたが、教育は私に同じ戦争の傷を抱えている日本を教え、無知の為に人を憎んでいた私の心を開いたのだから。
  私は学んだ。「ビルマの竪琴」から普通の日本人が経験しなければならなかった戦争の痛みと愛を。日本人にも暖かい心、美しい心があることを。
  人生のどの時期においても貧富に関係なく学ぶ機会が平等に与えられる社会の必要性を強く感じる。批判精神を養って歴史の真実を見ることができたら、ずっと染み込んでいる歴史の苦痛から解放され、もっと早く和解と許しの道を歩くことができるのでは、と思う。特に韓国人と日本人の間で…。共同で開催することになるワールドカップを目前にして…。
 



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