題名:ケルミス ― 教会前の移動遊園地 ―

名前:榊原 淳さん

国名:ベルギー

   ケルミスで遊び疲れた洋は、私の人差し指を微かに握り、教会の中に導かれるように入って来た。私は後部の長椅子に一人腰掛け、祭壇の奥に消えていく彼を見送った。
   ステンドグラスを透かしやわらかい光が入って来る。十字架上で苦しそうに顔を歪めているイエスを緑色に染めている。
   「イエスごっこ」は洋の大好きな遊びだった。特に祖母に連れられミサに出た日などは、ひとしきり覚えたての賛美歌を歌った後、木切れとセロテープで小さな十字架を作り、ぬいぐるみをそこに縛りつけ、私にそれを壁にかけるようにせがんだ。妻(ベルギー人)はその様子を見て、安心したように言った。「この子は帰って行く所をきっとみつけるわ」。
   去年の春、洋を日本に連れていった。病気の状況を父母に知らせた。二人はこれが洋にとって最後の日本になると予感したようだ。
   ある晴れた日、母の発案で裏山のお寺へ行った。梅の花にうもれたこのお寺の奥さんは、洋のために小さな木製の仏様を用意しておいてくださった。それを手にした洋の顔は一瞬にしてほころび、爪の先が真っ白になるほどそれを強く握りしめた。その仏像の意味が何であるのか分かるはずもない。ただただ夢中にその切れ長の目を小さな指で撫で、抱きしめ、キスを繰り返した。
   仏様を枕もとにおいて寝ついたその夜、突然洋は大きな声をあげ、目に涙をためた。それを唇で吸いとっていた妻は、いつしか泣きやみ口もとに笑みを浮かべているこの幼い子供を仏様は必ず天国に連れていってくださると信じた。
   ステンドグラスからの光は大分弱まってきた。私は席を立ち前方左側にあるマリア像まで歩き、その腕に抱かれている幼子イエスを見つめた。今は洋とともに石の下で眠っているあの仏像、そしてあの夜の洋の笑顔、そしてこのイエス、それぞれの顔が重なり合っているように私には感じられてならなかった。




題名:ビールと乳牛

名前:今津 明子さん

国名:ベルギー

   「お水にしますか、ビールにしますか?」
   ここは飛行機の中ではないし、社員食堂でもない。昨日私は無事初めての女の子を出産し、病院のベッドに横たわっていた。この小さな生まれたての赤ん坊は夜中中泣いて私を困惑させ、やっと朝方心地よい眠りに陥いり、お昼まで眠りこけていたのだ。ボーっとした頭でアルコールってダメだったんじゃなかったっけ、という思いがかすめたが、ともかくチョイスをせまられている。好奇心は強いけれど、アルコールは全然強くない。でも、選ぶとなると、ちょっと色がついている方が得かな、なんて変な損得勘定が働き、「ビールをお願いします」。
   さすが、ベルギー!。病院の食事にまで(それも産婦の!)ビールがでるなんて。
   病院のプラスティックのカップに入ったビールは、多分お酒の好きな人には全然物足りないだろうと思われるくらい低い度数だったが、ちょっと中国の青島ビールを彷彿させる味で、おいしかった。どうもベルギーでは、ビールをアルコールとみなさないらしい。そういえば、ハンバーガーショップでもコーラ、ファンタ、スプライト、ビール、と同列にポンプが並んでいた。街のカフェには数種類のビールがあり、それぞれのビールにあう変わった形のコップについでくれる。スーパーにいくと山ほど種類があり、うんと安いので、好奇心とビンの柄につられてよく買った。中には一口飲んだだけであとは台所の流しへドボドボと流してしまったのもあるが。
   そう、赤ちゃんは懸命におっぱいをすうのだが、初産のお母さんのお乳はなかなか出てこず、私のチビちゃんは丸二日ほとんど飲まず食わずで泣きつづけていた。三日目になってビールが効いてきたのか、お乳がドクドク出てきだした。私はベッドに横たわり、ビールをのんでご飯を食べて、赤ちゃんにお乳を含ませ、まるで乳牛になったような気分で、そう言えば神戸ビーフもビールを飲んでいたなあ、と思った。



題名:約束のトマト

名前:城間 真さん

国名:イタリア

   一番うまいスパゲッティはスパゲッティポモドーロ。アルデンテにゆでたスパゲッティにトマトソースだけ。バジルの緑もあるとトマトの旨味が引き立ち、赤白緑の三色旗にもなる。ピザはマルゲリータ。イタリア統一のサボイア王妃マルゲリータお気に入りのトマトソースとモツァアレラチーズだけのピザ。トマトはどこで買ってもまっ赤に熟れて甘い。さんさんと降り注ぐ太陽をそのまま売っている。日本ではトマトに旨味があるとは知らなかった。日本のトマトは約束の味がする。納期、納品の個数、重量を守るため管理され、青いまま摘み取られとりあえず赤くだけなったトマト。約束のトマトではスパゲッティポモドーロは作れない。イタリアでは約束は強い拘束力をもたない。約束をしても止ん事無き事情で果たせなければご免なさいも言わない。ハイテク製品を作っていても同じ事で、その板挟みになる日本支社の仕事は時差も加わってとんでもない仕事だった。製品が世界一なのは、作っていたらそう出来たから売るのであって客の為に作ったのでない。イタリアはドイツ顔負けの工業輸出国で自動車を省くハイテク製品を輸出している。壊れないで決められた通りに動く約束の固まりの自動車はイタリアは得意でない。ただ、約束を守らないスーパーな車は素晴らしい。約束のトマトはイタリアでは作れない。形は悪いがそのままで美味しい食材と自然の恵みのワイン、いつもある太陽とアルプスからの地下水、しかし、不便な暮らし。街で買い物をするときも、まるで自然の物を採るようにそこにある物を買う。この間買った気に入ったデザインの製品がまた入荷する約束はない。8月の水道工事の約束が一カ月伸びても自分もバカンスだから関係ない。約束を守らない理由はこの生活の中でなければ分からない、むしろ、割に合わない。私も日本の便利な天災と加工食材に囲まれた生活に戻ればまた約束のトマトで満足できるようになるだろう。




題名:Vaig al Japo (日本へ行こう)

名前:Josep Grifoll i Sauriさん

国名:スペイン

   僕は春は柔らかな日差しに包まれたギザギザの海岸線のある国から来ました。
   僕は冬は白く寒い雪に包まれた山のある国から来ました。
   僕は夏は暖かい海の周りに松の樹生い茂った国から来ました。
   青い海は大粒の砂を小さな海岸で洗い、小さな川は清水をせせらぎ、秋には風が麦を梳き、木綿の雲の撒き散らす国から来ました。
   僕は今から見知らぬ、でも僕の興味を駆り立てて止まない国へ行きます。
   行く先は東京、これが僕の初めての日本行きです。
   あるヨーロッパ人が新しい世界を発見する瞬間です。
   サーモンピンクに染まり、金銀に輝く気流の中を駆け抜け、これから太陽の生まれる国へ着きます。富士山のシルエットが浮かび上がり、ようこそ日本へと僕に話し掛けています。空から見た風景はとても整理されています。小さな村々の屋根は様々な彩りで、緑の水田がそれらを囲んでおり、所々深緑の森が点在しています。これら全てに囲まれた風景は平和で静寂に見え、僕らヨーロッパ人の持っていたイメージとは正反対です。火山は他からの侵入を拒むかのように盛り上がり、竹林は真っ直ぐ天を向き、茶畑は山裾を覆って雪の寒さから地表を防ぎ、水田の絨毬は見事な日本庭園を造っています。これらすべての風景は僕を引き付け、僕は今その中にいます。
   それにもまして、旅行中に知り合った日本人の友人達の温かさ、友情は風景の美しさとは比べようがありません。全てが僕の魂を埋め尽くし、幸福感で一杯です。
   再びヨーロッパへ戻るにあたり、成田空港を見渡して今まで見た事を生涯忘れない様心に決めました。飛行機が滑走路を駆ける時、日本を離れるのがとても淋しいと感じました。いつの日か再び日本へ戻れる日を楽しみにしています。




題名:『専業主夫』見聞記

名前:坂 啓典さん

国名:デンマーク

   妻の海外赴任にくっついてデンマークへやってきて一年半が過ぎた。肩書きは『専業主夫』、でいいのかな。人権にはうるさいこの国にも僕の立場を一言で表わす言葉はない。『主婦』は『HUSMOR』、そのまま訳せば『家の母』。女性であるばかりでなく母親でなくてはならんとは何たる性差別だ、けしからん、なんて議論は実質的に男女同権が確立しているこの国では耳にしない。職業を尋ねられて「今はHUS・MAND(家の男=主夫?)をやってます」と、こちらとしては少々ウケをねらって答えてもたいていは何事もなかったように会話が進んでしまう。実際に家にこもって料理や掃除を専門に引き受ける男性はさすがに珍しいようだが、仕事・家事全般を夫婦で均等に受け持つのはごくごく当たり前のこと、特に気負うほどのことでもないらしい。『家事全般』にヨットの修理や馬の世話(両方とももちろん自家用)が入ってしまうところはこの国の余裕だ。
   何気なく『夫婦』という言葉を使ったが、この言葉に関する感覚もずいぶんと違う。なにしろ友人の半分以上が離婚経験者。別れた女房の誕生パーティーに今の彼女を連れて駆けつけるなんてのはよくある話で、聞いたところでは赤ん坊の出生届には『生まれた子どもの父親の名前』『母親の夫の名前・同居の有無』という記入欄が別々にもうけてあるらしい。やはり離婚経験のある釣り仲間からこんな笑えない冗談を聞いた。「デンマークで人妻を好きになってしまったらどうすればいいと思う?何もしなくていいんだ、二、三年待ってれば独身に戻るから」。そして真顔でこう尋ねる。「ニッポンの男ってのは結婚していても余所に彼女を作ってるって噂は本当か?ワイフをだまし続けるなんてことは、オレには信じられない」。信じられないのはそっちの方だと、言いかけた途中で僕は考えこんでしまった。



題名:グーテン・フリューシュテュック

名前:葭矢 高子さん

国名:ドイツ

   ;ドイツに暮らして三年余り。習慣や生活様式の違いもさる事ながら、一番憂うつになるのは 感情を害した時だ。
   私の最初のショックはパン屋で怒鳴られた時だった。 朝食に 焼きたてのパンが食べたくてパン屋に走った。パンと一口に言ってもいろいろと種類がある。名札はついているが手書きでよく読めない。私は仕方なく指さして二つ注文した。パン屋のおばさんはいら立ちながらぶっきらぼうに、どれ?とか言いながら、私の指すパンを二つ袋に入れ、突けんどんに一言私に怒鳴って、ポンとそれをケースの上に置いた。
   兎に角、パンは買えた。しかし、何で怒鳴られたのだろうか。もたもたして手を焼かせたからか。たった二つしか買わないからか。憂うつな朝食となった。
   コーンフレークもいい加減飽きてくる。スーパーのパンはおいしくない。またもあのパン屋へと走った。いつもの様にたくさんの客。この人達の様に手際良く買えたらと、私の側にいたおばあさんと同じ物を発音し、今度は三個にした。しかし、パン屋のおばさんは私に空の籠を指さして、早口に何か言った。聞きとれず思わず立ちすくんでしまった。売り切れという事だろうか。おばさんはいらいらしながらあれはどう?という風に指さし、私は適当にうなずいてパンを買った。袋をさし出しながらむっとした表情で、前と同じように私に怒鳴った。
   そのパン屋ではもうパンを買わなくなった。
   ある朝、めずらしくそのパン屋に客がいないのを見て、性懲りも無くまたパンを買ってしまった。おばさんは私をじっと見て怒鳴った。今度はしっかり聞きとれた。「グーテン・フリューシュテュック!」(良い朝食を!)



題名:十三月の青い空・・・

名前:瀬倉 祥子さん

国名:フランス

   その日は雨期の合い間の青空がのぞく日で、難民キャンプや農場はすごいぬかるみだった。野菜畑は前夜の豪雨で半分以上浸水していた。しかし、働く人達の表情は明るく、子供達は採りたてのニンジンを泥水で洗って頬ばっている。洪水はこの時期にはつき物で、川は肥沃な土をもたらしてくれる。悲しむべきことではないのだ。ここはエチオピアの首都、アディスアベバの郊外である。
   エチオピア暦の十三月にあたる八月上旬、飢餓の終焉を目的として活動しているNGOの一団体の世界大会が、この地で開かれた。日本にいた時からその団体に所属していた私は、現在家族と暮らしているパリ近郊からやって来て、オブザーバーとして会議に参加したのである。会議後に見学した難民キャンプの中の幼稚園や農場は、日本が支援する、自立のプロジェクトの現場であった。あの日、そこで出会った子供達の、輝く大きな瞳とくったくのない笑顔が、今でも心に焼きついている。
   夫の仕事の関係でこの春に渡仏するまで、私は都内の中学校の教師をしていた。日本の多くの子供達は物質的な豊かさの陰で、精神的に満たされない、心の飢餓とでも言うべき状況に陥っているように思えてならなかった。
   こうした状況は先進国と呼ばれる諸国では多かれ少なかれ見られるのではなかろうか。ここフランスでも、第三世界の貧困をよそに人々は物質的繁栄を謳歌しているように見える。
   若者達が主役のエチオピアの会議で、日本の十五歳の少年が発展途上国の人達に向かって、「ぼく達こそ、あなた達が必要なんです」と訴えた言葉が、印象的だった。この言葉は、物質的な豊かさと精神的な豊かさの関係を、逆転させるものだ。日本を救い、地球の未来を創って行く言葉だと私は思う。
   エチオピアの十三月は、雨期の最後の月である。あの時見た希望の青い空は、世界中につながっているのだと信じて、私はここフランスでも、活動を続けて行きたい。



題名:靴の国に暮らして

名前:小川 恵子さん

国名:フランス

   三年前の九月、夫の仕事でフランスにやってきた私達は、パリ郊外の小さな村にある、ジャンとスゾンご夫妻の家で生活を始めた。一歳半の長男と散歩する広い庭、市場まで続く石畳の道・・・。私が日本から持ってきたパンプスは、さっさと棚の奥にしまいこまれ、代わって底の厚いブーツやスニーカーの出番となった。一日が終われば、その靴も泥や埃で汚れてしまう。運が悪ければ、犬の糞までついてくる。文字通りの「土足」で家まで入ってしまう神経は、私には理解し難かった。「日本式の方が、清潔で寛げて、ずっといいのに」と、夫と首をかしげあったものだった。
   「フランス式」に対するそんな疑問への答えは、ひょんなところからやってきた。ジャンの家に暮らしている間、さらには昨年パリに越してきてからも、私達は度々、知り合った人々から食事に招かれるようになった。招き手もお客も、職業や年令は様々だが、共通しているのは、まず、必ずと言ってよい程、招き手が自分の家を気軽に見せてくれることだ。さらに、男女交互に、夫婦はバラバラに着席すること、手料理とふんだんなワイン、そして何より皆、実によくしゃべることである。ナイフとフォークの音の間を、ポンポンと会話が飛び交う様は、サッカーの試合のように、生き生きと緊迫している。ふと私は納得した。「そうだ。ここはウチでなく、ソトなんだ」人と交わる場。公の場。個と個が向き合い、相手を、そして自分を確認し、尊重する場なのかな、と、それならば、彼らが家で靴をはくのは、ごく自然なことなのかもしれない。
   「今日はお招き有難う。そうそう、ここで靴を脱ぐんだったわね」玄関で私の両頬にキスをしたスゾンが言った。傍らで、ジャンは既に腰を屈めている。その足元の磨きこまれた革靴を目にした私は、ちょっぴり気が咎めた。仕立ての良いスーツを着込んだ彼のスリッパ姿は、何故か頼りなげで、唐突に、丸腰の侍を私に連想させたのだった。



題名:パリの秋刀魚

名前:宮井 環さん

国名:オランダ

   おや、お帰り。パリに赴任してたんだってね。お疲れさん。で、どーだった。意地汚いグルメ気取りのおまえさんのこった、毎日うまいフランス料理食ってたんだろ。えっ、とんでもねぇって。あれほど騒いでいたフランス料理が、まさか銀座の方が旨かったってんじゃないだろ。いくらコックや材料を本場から輸入してるからって、やっぱり本場の味にゃかなわないんじゃないのかね。おや、あんなしつっこいもん喰えねえって。そんじゃ何喰ってたのさ。なんだって、煮っころがしだって。どーゆーことなんだい。あれほど馬鹿にしてた煮っころがしが、まさか本場フランス料理だったってんじゃないだろ。サンマも美味しかったって。こりゃぁ驚いた。おまえさん、あんなもんは猫の喰うもんだといってハシも付けなかったじゃないか。それがパリへ行った途端に煮っころがしやサンマ喰いたくなったってのかい。やれやれ、海外で日本料理を見直したっていうのは結構なことだけどさ、郷に入れば郷に従えって言うじゃないか。折角フランスに居たんならフランスのもん喰えばいいんじゃないの。日本に居る時はわざわざ輸入した外国の物喰って、パリに行ったら行ったで、なんでまたわざわざ日本から輸入した物喰いたがるのかね。日本じゃ毎朝クロワッサンにカフェオレだったやつが、どーしてパリの朝はごはんに味噌汁アジの開きに納豆じゃなきゃいけないのかね、民宿の朝飯じゃあるまいし。おまえさんには前々から意見しようと思ってたんだけどね、そーゆーのないものねだりのヘソマガリって言うんだよ。第一カミさんがかわいそうだよ、ねぇ奥さん。なんだい、あんたも一緒になって和食や器に懲り出したってゆーのかい。仲の良い夫婦だね、まったく。まあいいよ、せっかく日本に帰って来たんだ。これからは好きなだけ和食を食べさせておもらいよ。なになに、でもやっぱりサンマはパリにかぎるってか。おまえさん、それじゃまるで落語だよ。



題名:不思議の国ウェールズ

名前:牧野 由香さん

国名:イギリス

   不思議の国のアリスのふるさと、英国、北ウェールズ。美しい自然と十五世紀のマナーハウスに恋した主人と私は、ここでホテルを始めることにした。あれから半年。不思議の国ウェールズでのアリスにも負けないエキサイティングな体験は数知れず。
   その中でも取って置きは赤ちゃんコウモリの話。緑の眩しい七月、ホテルのバーで驚いた。空のビアジョッキの中に体長四センチメートル程のコウモリが!。つぶらな瞳が愛らしく、暗いイメージが一気に吹き飛んだ。逆さにしてみた。ぶら下がった!。一晩様子を見てみよう。
   翌朝、コウモリはそのままの姿でぶら下がっていた。あーあ。二日過ぎても独り立ちの気配なし。しかも少し弱ってきた様子。どうしよう・・・。「そうだ、RSPCAに相談してみよう」と主人。そういう名の動物保護機関があるらしい。早速、番号案内で調べ電話をしてみると、敏速に近くの町のコウモリ専門家、メアリーを紹介してくれた。
   彼女の行動もまた素早かった。三十分後には多数の資料持参の上、ホテルに到着。飛べるようになるまで預かり育ててくれるという。もちろん無料で。そして三週間後、ホテルの庭でメアリーはすっかり元気になったコウモリを主人の手に握らせた。「さあ、手を開いて。一、二、三!」飛び立った。大きなもみの木をぐるぐるっと二周した後、彼は夜空に消えていった。ありがとう、と言っているかのような感動的な場面だった。
   また来てねと願いつつ、あれ?逆かもしれないと、ふと思った。彼らが何百年も住み続けた館に私たち間借りしている、と言った方が適切かも。そして何より素晴らしいのは、動物と人間が共存している田舎の暮らし。動物たちが生きる中に人間がお邪魔して、人間が建てた館にコウモリが仲間入りして、それを人間が見守る。このような村外れにまで電話一本で駆けつける、動物保護のシステムを持つこの国が、ますます好きになった。


題名:岩窟のマリア

名前:石田 吉生さん

国名:イギリス

   家族の反対を押し切り、イスラエルに旅立つ。私をこの旅に誘ったのは、ナショナル・ギャラリーにあるダ・ヴィンチの「岩窟のマリア」であった。この絵を見た瞬間、稲妻が体内を走り抜け、その場から、動くことができなかった。鑑賞の域を超え、世紀の天才にこの絵を描かせた信仰の力に驚愕したのである。以来、宗教画を見ると、画題となった場面を聖書で確認する様になった。こんな形で絵画鑑賞を続けているうちに、聖地エルサレムへの旅が押さえ難いものとなってしまった。
   しかし、エルサレム滞在中、私は疲労感と無力感を覚えるのであった。先住パレスチナ人の生活に触れず、無人の荒野から建国したと説明するユダヤ人ガイド。アラブの大儀に酔い、イスラエルに戦争を仕掛け、領地を減らし窮乏を深めるパレスチナ人。過去にユダヤ人を差別、追放し、遂には虐殺又はこれを黙殺した西欧キリスト教社会。今更ながら、これらの事を思うと、聖書もユダヤの律法も嘆きの壁の上から聞こえるコーランも、もう沢山だと叫びたくなる。本来、人々の魂の昇華を導く教えが、毎日の諍いの疲れを慰め、癒すものにしか思えなかったからである。混沌としたエルサレムを離れ、ガラリヤ湖に舟を浮かべ、静かに丘を眺める。二千年前、一人の男が磔刑にまでなって人々に説いたのは、それぞれ異なる存在である私達が、相手を信頼し、譲歩し、共に生きると言った当たり前の事ではなかったのか。宗教が完全を求め理屈を付け体系化された時、異質との妥協、譲歩は許されなくなるのであろうか。
   ロンドンに戻ってからもエルサレムの混沌が頭の片隅に残り、跡を引く旅であった。IRAの爆弾テロが再び始る。英国が勇気と矜持をもって、この問題を解決する事を私は祈っている。さもなくば英国が「岩窟のマリア」を所蔵する価値が無くなってしまうと思うのである。

 



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