| ケルミスで遊び疲れた洋は、私の人差し指を微かに握り、教会の中に導かれるように入って来た。私は後部の長椅子に一人腰掛け、祭壇の奥に消えていく彼を見送った。
ステンドグラスを透かしやわらかい光が入って来る。十字架上で苦しそうに顔を歪めているイエスを緑色に染めている。
「イエスごっこ」は洋の大好きな遊びだった。特に祖母に連れられミサに出た日などは、ひとしきり覚えたての賛美歌を歌った後、木切れとセロテープで小さな十字架を作り、ぬいぐるみをそこに縛りつけ、私にそれを壁にかけるようにせがんだ。妻(ベルギー人)はその様子を見て、安心したように言った。「この子は帰って行く所をきっとみつけるわ」。
去年の春、洋を日本に連れていった。病気の状況を父母に知らせた。二人はこれが洋にとって最後の日本になると予感したようだ。
ある晴れた日、母の発案で裏山のお寺へ行った。梅の花にうもれたこのお寺の奥さんは、洋のために小さな木製の仏様を用意しておいてくださった。それを手にした洋の顔は一瞬にしてほころび、爪の先が真っ白になるほどそれを強く握りしめた。その仏像の意味が何であるのか分かるはずもない。ただただ夢中にその切れ長の目を小さな指で撫で、抱きしめ、キスを繰り返した。
仏様を枕もとにおいて寝ついたその夜、突然洋は大きな声をあげ、目に涙をためた。それを唇で吸いとっていた妻は、いつしか泣きやみ口もとに笑みを浮かべているこの幼い子供を仏様は必ず天国に連れていってくださると信じた。
ステンドグラスからの光は大分弱まってきた。私は席を立ち前方左側にあるマリア像まで歩き、その腕に抱かれている幼子イエスを見つめた。今は洋とともに石の下で眠っているあの仏像、そしてあの夜の洋の笑顔、そしてこのイエス、それぞれの顔が重なり合っているように私には感じられてならなかった。
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