題名:大地からの贈りもの

名前:河南 麻理さん

国名:スウェーデン

   ポンポポンポポンポンポポンポポン・・・。大地に太鼓の音が響き始める。夜明けだ。例の赤い包みのチョコレートでしか名を知らなかったガーナに来て三カ月。もう体を起こす気力も体力もない。ジュースは疎か、水さえも受け付けなくなって胃袋はすっからかんなのに、それでもなお吐き気は続く。とうとう胃液に血が混じった物が出てくる様になる。つわりは病気ではないからと人は言うが、昔は妊娠悪阻(おそ)(重いつわり)による脱水症状で命を落とす女も少なくなかった。寝室の窓にはめられた防犯用の太い鉄格子の合い間に見える真っ青な空には鳶(とんび)が旋回し、軒下の電線に止まる野鳥は毎日決まってそこで糞をする。乾いた土壁をゆっくり登って行く大トカゲ。昨日から断水で、ここ一週間電話も繋がらない。これが私の見る最後の風景かもしれないとぼんやり考えていると、仕事を途中で抜け出した夫が帰ってきて「やっぱり医者に行こう」と言う。診療所に着くと、待合室は現地の人で溢れている。順番が来るまでナースルームの窓際にある古い診察台に横になる。外を、女が頭上にマンゴーの籠を載せて歩いて行くのが見える。背中には色鮮やかな布にくるまれたくりくり頭の赤ん坊。通りの脇に続く豆の木には、黄色い柔らかな花弁の花がこぼれんばかりに満開である。我が子を抱いて歩きたい、私も。その時強くそう思ったのだ。あれから一年半が経った。  
   「さあ、白鳥さんに会いに行こうか」。  
   娘に毛糸の帽子を被せて乳母車の籠にパンの欠けらをほうり込み玄関を出る。黄色く色付いた白樺の葉が冷たい風に吹かれて舞う中、今日も私は娘を連れて湖に出掛けて行く。まあるいほっぺが桃色に染まってきた。出産後、夫にガーナからスウェーデンへの転勤辞令が出た時は驚いた。友人に「オーブンから冷蔵庫に移るのね」と言われ苦笑する。アフリカの大地は、私に健康な娘を授けてくれたのだ。ありがとうガーナ。私達は元気です。



題名:私の海外お国自慢

名前:坂本 尚也 さん

国名:ポルトガル

   君達七十歳にもなったらアクセク働くのはやめよう。ポルトガルにおいで!  
   ストレスもなく健康第一。生きのよい海の幸、うまい無農薬の果物・野菜。何?ほうれん草に蝸牛がはいっている?洗う時間は充分あるよ。形はいびつでも安くてうまけりゃよいだろう。その上太陽のめぐみたっぷりのワインがふんだんに造られている。  
   日本人の悪い癖で、ワインはボルドー、ラインガウ、せめてキャンティ、カリフォルニアと、めっ法銘柄に弱く、ポルトガルワイン即あの悪甘い何とかポートワインかと決め付けるが、とんでもない時代錯誤だ。  
   旨いワインをリーズナブルな値段で、美味い食事と共に気取らずに飲める、というのが主たる目的で、もう長くこの国に住む私としては、この素晴らしいポルトガルのワインをこそ、お国自慢の第一に挙げたい。  
   ワイン愛好家のグループにも入れてもらい目覚ましい醸造技術の向上も具に見せてもらったし、産地によっての豊かなバラエティも太鼓判を押して保証できる。  
   「お国自慢をするだけで何もこの国に貢献しないのは申し訳ない」と、子供達に柔道の手ほどきのボランティアをしている。  
   自慢じゃないが、この国は正統な日本の柔道が、技の名も型も、すべてが正しく日本流に教えられ、私の住む小さな漁村さえ、有段者の若者が立派な体育館の道場で指導している。私も年は取っても日本人の黒帯だ。熱心な若き指導者のアシスタントとして若干の宣伝効果をはたしている。  
   七十歳を過ぎても柔道をし毎日ワインを楽しめるのも、ストレスのない人情豊かなこの地の暮し、新鮮な海と山の幸、公害に無縁の青空の漁村の坂道を毎日歩くお陰かな?  
   こんな外人の退職者夫婦をやさしく受け入れ友としてくれる、大らかな心の人々の国、ポルトガル。私はこの国を自慢したい。



題名:長期休暇なんか怖くない

名前:グリーブ 智子さん

国名:ドイツ

   「ああ、どうしよう。絶対に退屈するにちがいない」。リビエラ海岸八日間コースの申し込みをファックスしながら、私はもう後悔していた。「イタリアの海でずっと遊びたーい」という息子達の言葉につられ、うっかりドイツ的プランにしてしまった。  
   夏の天気が不安定なのでドイツ人は民族移動さながら太陽を求めて南下し、海岸やプールサイドで見事に何もせずゴロゴロして二〜三週間すごす。夫はドイツ人だが、結婚以来、いつも日本的な短い周遊型の休み方をしてきた。所詮、東洋的なドイツ人と西洋的な日本人の間で引力がはたらいて一緒になったのだから、仕方がないだろう。  
   私の子供時代、日本は高度成長期のまっただ中で、働け働けムードだった。レジャーという言葉は無いに等しく、休むこと自体「悪」とみなされていたような気がする。だから、親と泊り掛けで旅行に行った覚えもない。体得しなかったものは出来っこないと自分に言い訳してみる。  
   いよいよバカンス開始。白い砂浜が続く歴史ある避暑地という話だったが、意外にも宣伝通りなのでかえって驚く。二〜三日は物珍しいから退屈しなくていい。とうとう恐れていた後半に入った。するとどうだろう。心身がすっかり休暇モードになっているではないか。時の流れも頭の中もゆっくり。会社のことも忘れ、いつもは追い立てている息子達にもやさしい。大袈裟に「無」の境地とはこれに近いことかと思ってみたりする。  
   ミュンヘンへの帰途、私は今まで体験したことのないすがすがしさ、心の底から沸き上がる幸福感に浸っていた。ヨーロッパ的休暇にどこか冷やかだった私が、十五年してようやく現地化できたということか。ああ、休暇とはこういうことか。味をしめた私は「次は二週間!」と隣で運転している夫に高らかに宣言した。




題名:不思議な一夜

名前:友永 幸美さん

国名:イギリス

   とうとう恐れていたことが起きてしまった。四カ月になる赤ん坊を連れて渡英して三カ月目のことである。赤ん坊の脇の下にできていた腫物が大きくなり手術をせざるを得なくなったのだ。手術の日、途中まで付き添ってくれていた夫も仕事でいなくなりいよいよ赤ん坊と二人っきりになってしまった。しかもなかなか手術が始まらず不安は募る一方だった。私の一番の心配は現地の医師や看護婦との英語での会話をどうするかと言う事だった。それまでは、「サンキュー」「プリーズ」「ソーリー」で事足りていてまともな会話などせずに済んでいたがこの時ばかりはそうはいかない。日本語であればすぐに答えられるような程度の質問にも、英和辞典を何度もめくらなければならない。あまりのもどかしさに、こんな思いをするくらいなら私と子供だけでも日本に残るべきだったと思わずにはいられなかった。  
   そうこうするうちに、遂に手術の時が来た。赤ん坊は麻酔がかかっても私の指を握って放さない。手術室から外へ出て行きかねている私を促すように看護婦さんが声をかけてくれた。「大丈夫?部屋で待ってましょうね」。もちろん彼女は英語で話しているのだけれど、私にはそれが日本語に聞こえた。そしてそれ以後不思議なことに一晩中、話しかけられる言葉全てが日本語に聞こえたのである。看護婦さん達の話しをすんなりと理解できるのだ。
   結局、手術は無事に終了し、翌日退院することができた。残念ながら私の英会話の実力はすっかり元に戻っていた。あの晩のみどうして英語で話す言葉を理解できたのか。それは今だにわからない。しかし、私の心細さを察して何とかしてこの外国人を励まさなければと思った看護婦さん達と言葉の壁を超えた心のふれあいを確かに私は経験した。この地に来て初めて、親子三人暮らして行けそうだという気がした。



題名:海外の生活

名前:竹内真由美さん

国名:イギリス

   「ご主人はいらっしゃらないものと思ってください。一年目が勝負です」。  
   と上司に言われ、一足先に出発した夫のもとに、三歳の娘の手をひき、一歳の男の子をおんぶにだっこして、スペインバルセロナに到着したのは六年前の四月。  
   六月、初めての家族の外出で荷物をすべて置き引きされてしまい、がっくりして帰宅した後、全員腹痛に悩まされることになりました。  
   そして迎えた暑い夏、娘がほとんど歩けなくなり、顔がむくみ、肝炎と診断。  
   ベビーシッターを初めてたのんだ日、台所の揚げものの油の火を消し忘れ、換気扇まで燃えてしまうボヤとなり、天井までススだらけに。一歳半の双子たちはいろいろやってくれます。レースのカーテンにぶるさがってビリッ。大家さんご自慢のシャンデリアをひっぱってガシャン。ガラスのドアにぶつかりバリーン。英語がわからない、アルパシーノに似た人の良い管理人(ポルテーロ)や、あらゆる故障を私の使い方(マル・ウソ)が悪いとまくしたてる不動産屋のおばさんとのやりとりに、年間二百日出張の夫はあてにできず、スペイン語の勉強に奮起。  
   そして迎えたバルセロナオリンピック。日本からのお客様のおもてなしとさし入れに追われる中、子供の悲鳴でかけつけたお風呂場でステーン。ろっ骨を折るという醜態。子供は湯船にプカリと浮かんでにこり。友達たちがかけつけてくれ、翌日からの子供の世話と私のためのカルシウム中心のお弁当と通院の付き添いまで役割分担され、私はベッドでオリンピックのテレビ観戦しながら怪我の回復に専念という駐在以来初めての休息。  
   走馬燈のようにかけめぐる思い出は、つらさよりもそのとき出会った人々のあたたかさだったり、必死にがんばっていた仲間や家族へのいとおしさです。今はロンドンに移り、五年目を迎え、初めての駐在の方に会うと、思わず声をかけて励ましている自分がいます。



題名:邂逅

名前:青砥 玄さん

国名:スイス

   「出て行け!二度と来るな!」当時私が学生のボランティア活動で訪れた英国の古い町スタッフォード、春の日差しを浴びてバラやクレマチスが咲き乱れるある昼下がり。玄関口で私の自己紹介を微笑みながら聞いていた老紳士が突然私に大声でそう叫んだのです。その後、地域のお年寄りや身障者のお世話をしながらも老紳士の事が気にかかっていたある日、近所のおばさんに私の出会いを話したところ、「あんた日本人でしょ、彼は戦争中シンガポールかどこかで日本軍の捕虜になり牢獄生活してたんだよ」。戦争を知らない子供達の世代に生まれた私でも、彼は私を日本人であるが故にその恨みをぶつけてきたのでした。思い悩んだ末、「人生は出会いの連続で、ひとつひとつの出会いに意味がある」と思い、手紙をしたため再訪を決意しました。再び追い出されたら少なくとも手紙を渡そうと思いながら。再度玄関口に現れた私を見て彼は驚きの色を隠しませんでした。私は自己紹介、ボランティアの仕事内容等を説明しました。すると彼は黙って聞いてくれ、一通り話し終わると、小声で「入れ」と家の中へ通してくれたのです。そこで私は三時間以上にわたり筆舌に尽くしがたい戦争体験を聞きました。シンガポールの強制収容所での三年半、過酷な重労働に耐えながら多くの戦友の死を目の当たりにしてきた事。残虐な日本軍人からの仕打ち。私が戦後初めて出会った非武装の日本人であった事等。栄養失調で自分の歯を全て失した彼の口から溢れる実体験の一つ一つを聞きながら私はこみ上げる涙を抑えることが出来ませんでした。以来私は毎日の如く訪問しては誠意を込めて尽くしてあげながら家族の様に親しくなってゆきました。数ヵ月後のある日彼はしみじみと言いました「自分は終戦時英国軍によって体は解放された。しかし今、自分は君との出会いを通して心が解放されたよ、ありがとう」と。



題名:スペイン生まれの冷奴

名前:新妻 芳子さん

国名:スペイン

   厚い八月のマドリッド、街中の温度計は連日四〇度以上。夏バテの体が欲しがるものは、冷の名前の付いた日本の食物ばかり。日本恋しやの私に友人からの朗報。なんと手作り豆腐屋が週一回配達しているのだ。早速、〃絹ごし豆腐と油揚〃を便乗注文。私の大好物、〃冷奴〃に〃冷しきつねうどん〃と意気込んで食材集め。生姜・葱・昆布・鰹節・うどん・準備万端整えて家族に報告。「ワァ嬉しい、今夜は御馳走ね」。久々の声に、うどんの汁に貴重な鰹節をたっぷり使い、冷蔵庫には勿論ビール。今か今かと到着を待つ。が、来ないのだ。友人が豆腐屋に連絡すると「出ました」との返事。夜九時、子供が騒ぎ出し、もう時間切れ。前宣伝が大きいだけに無言の夕食。ズルズルと〃素うどん〃を啜る音が、いやに暑苦しく聞こえた。翌日、友人から呆れ返った声で電話があり「夜十時半ごろスペイン人の配達人が来たの。遅い理由を聞くと『お腹空いたから夕食を食べてきた』と、アッケラカンとしてるの」。聞きながら私はムッとした。が、すぐにアッそうか。スペイン人気質に慣れてるつもりが〃手作り豆腐屋さん〃と聞いて、つい日本の自宅近くの店とオーバーラップさせ、配達は夕方迄と思い込んでいた自分のうかつさがおかしくなった。友人は締めた声で続けた「暑い日中長時間持ち歩いて心配だから、今朝店に問い合わせしたら、豆腐の水に濁りがなければ大丈夫ですって。でも生で食べるのは無理じゃない」。まさに相手は鮮度が売り物、甘く見てはいけない。が、艶も臭いも日本と変わりない。氷水に浮かび奴豆腐で登場した涼しげな風情は益々食欲をそそる。家族からは河豚をもじって「豆腐食いたし命は惜しいし」と駄洒落も出る始末。エイッとばかり一口パクリ、喉越しツルン〃美味しい〃後は野となれ山となれ。結局全部平らげてしまった。こんな経緯も懐しく、スペイン生まれの豆腐は今や和食党の我家で大活躍である。



題名:みんな友だち

名前:澤村 亮太さん

国名:イギリス

   イギリスに来て地図を見てぼくはおどろいた。
   「あっ、地図のまん中は、イギリスだ」。
   ぼくは、ずうっと地図のまん中は、日本だと思っていた。日本が世界のまん中にあると思っていた。だからデパートの売場で少し右の方にかたむいている地球ぎをクルクル回してみた時も日本のところが赤くなくておどろいたのだった。  
   日本ではかみの毛や目の色やはだの色のちがう人、アクセサリーのつけかたのちがう人は、外国人だった。外国の人とは、英語やフランス語やドイツ語でしか話しができないと思っていたから、ぼくは何も話しかけなかった。今度ぼくがイギリスに来たらぼくが外国人になった。でもこちらの人たちは、外国人のぼくにどうどうと英語で話しかけてきた。ぼくがわからない顔をしていると、顔をひろげたりちぢめたり、かたを上にあげたり、両手をひらいたり、右手で「ヘイ、カモン」というかっこをして話しかけてきた。ぼくはこうやってイギリスの人たちと友だちになれたのだ。友だちをつくるのにはじめのうちは言葉はいらない。いっしょになってプールにはいったりボールをけったり食事をしたりしているうちにいつの間にかいっしょにわらったりおこったりしていた。ロンドンの町の中には世界中の人がいろいろなかっこうをして歩いている。そのどこの国の子どもたちもきっと地図のまん中には自分の国があると思っているにちがいない。いつの日か、まん中どうしがみんなまん中にあつまって手をつないで仲よくなれたらいいなと思っている。
 



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