題名:一人の授業

名前:安藤 歌織さん

国名:イタリア

   あと四日だ。あと四日しかローマにいられない。そう考えると、今までローマで過ごした約五年間が思い返されてきた。
    私のローマでの約五年間は、ローマ日本人学校で大部分が終わった。ローマに初めて来た時は小学校三年生だった。あの時は千人単位の学校から来たので小規模な学校におどろいた。でもあの時はよかった。クラスは私を入れて五人。ふつうの学校では五人という生徒数は考えられないだろう。しかし、ローマ日本人学校では五人は多い方だった。だが、時がたつにつれて、友達が一人、一人と帰国していってしまった。気がつくと私は一人になっていた。あの時初めて友達の大切さが分かったような気がした。
    一人で授業を受けて「ああ、友達がいればなぁ」とよく思ったものだった。 一人で授業を受けていた二カ月間がたつとクラスに突然生徒が入ってきた。私は喜び、二カ月ぶりに一人ではない授業をうけたのだった。それから、もう一人増えた時もあったが、やはり二人のクラスが続いた。
    そして今年の春、今まで三年間クラスメイトだった友達が帰国し、新しい友達が入ってきた。新しい友達が入ってくるのはうれしいが、今まで授業を一緒に受けていた友達が帰国してしまうのはやはりさびしかった。
    今度は私の番だ。今まではおくる側だったが、今度はおくられる番になった。かつて私も味わった一人授業を今度は友達に味わわせてしまう。もうしわけなさでいっぱいだが、どうしようもない。私がクラスで一人きりになった時も、友達はもうしわけなさでいっぱいだったのかもしれない。帰国する時に初めて、おくられる側も悲しいことに気づいた。だが残される側の気持ちはその倍ぐらい悲しいだろう。  
    友達にはもうしわけないが一人なった悲しさも経験し、それをバネにしてがんばってもらいたい。


題名:将来の自分にできること

名前:増田 彩さん

国名:スイス

   私が前通っていた学校では、チャリティーに力を入れていて、第三世界といわれる国に井戸をつくったりするためのお金を集めていた。私達の学年は、アフリカのある地域に学校を建てるお金を集めていた。学校、といっても、レンガを組みたてただけの、箱のようなものだ。それでも、子どもたちは、毎日何キロという道を歩き、一クラス五十人以上もいる学校に通っているのだという。それを聞いたとき、私は大きな衝撃をうけた。そしてそのころから、アフリカに興味を持つようになった。
    中学三年になって公民の授業が始まったとき、アフリカに対する興味は将来の夢へと変わっていた。「アフリカに行ってみたい。そして少しでも多くの人の力になりたい」と思うようになった。
    私は、特に病気の人たちや子供たちの力になりたい。健康な暮らしができるように。人は、何より健康な体でないと、他に何にもできなくなってしまう。だから、まずはみんなが元気になるための手助けをしたい。
    しかし、これは非常に難しいことだ。特に物があふれている環境に生まれた私には、とても厳しい仕事だと思う。だからといって今のようにいつまでも「かわいそう」と思いながら、いつでも飲み水が手に入るような生活をするつもりはない。困難が多いからこそ、その分喜びも大きいと思うし、やりがいのある仕事だと思う。苦しい環境で生活している人にも、その人たちの文化や思いがあると思う。それらを理解しながら、少しでも生活を良くするために力になれるような人に私はなりたい。


題名:ジュネーブの友人

名前:亀山 謙司さん

国名:ドイツ

   八月中旬に、ドイツに遊びに来る予定だった父方の祖母と伯父家族が来れなくなってしまった。みんながっかりしていたので、父が「ジュネーブの友人家族に会いに行こう」と言い出して土、日、一泊二日ジュネーブ旅行をする事になった。我々家族は十年あまり前に父の仕事でジュネーブに住んでいた。その頃、家族付き合いをしていた人達との再会の旅だ。   
    土曜の昼前、ホテルにチェックインした後、キール家族がホテルに迎えにきてくれ、昼食を取り、僕達が住んでいたアパート、その横にあるオービーブ公園、旧市街、兄が通っていた学校、家族で買い物に行ったスーパー、レマン湖、そして夕食まで共にした。両親とキール夫妻の仏語英語を混じえた語らいは、とても十年振りとは思えない程、親しげなものだった。特に娘のエロディが大人になった事、僕達が大きくなった事などお互いに感激している両親達の姿を見て、何か不思議な気持ちになった。
    次の日は、フェビアン母子がホテルに訪ねてきてくれて、朝食から午後三時のフライトまで一緒に過ごした。息子のアドリアンは、父と同じ年齢のフェビアンおばさんと、四十歳も年上のアールおじさんの子供で、僕と同い年だ。アールおじさんは三年前に亡くなった。生きていれば、八十歳。若い頃、アメリカの有名なカウントベーシーでボーカルや楽器を吹いていた。
    両親は、フェビアン母子と空港で、お互いに涙しながら別れた。ドイツに帰ってから、どうして?と聞いたら、「アールがフェビアンと離婚して、オハイオ州に戻っていた時ニューヨークの家に遊びに来て、ジュネーブの事、アドリアンの事を話したのを思い出したから」という事だった。理解するのが難しかったけど年齢や国、人種を越えた友人、というものを考えさせられる旅だった。


 



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