題名 日本のパン屋さん? フランスのパン屋さん?
名前 ラバグリア 恵子
国名 フランス
インタビュー
 日本のパン屋で4年間働いたあと、渡仏。パン学校時代を経て2年後ついにパリのパン屋で働けることになった。最初は1日800本も焼くバゲットや、大きなパン・ド・カンパーニュなどを日どきどきしながら作っていたが、3ヶ月経ち、朝の仕事を1人でまかされるようになると予想外の体験もたくさんするようになった。そして2年間が過ぎた今、ところ変わればパン屋も変わるものだなぁと感慨にふけってしまう。
 日本に居た時はとにかく「連帯責任」。朝から晩まで同僚と助け合って働いた。自分がしたミスでなくても、お客様のクレームにはまず「申し訳ございません。」を言うのが当たり前。パン製造も分担制で、自分の仕事がどこまでパンに現れてるのかに疑問を感じた。
 それに比べるとフランスは「個人責任」という言葉がぴったりくると思う。人の仕事は人の仕事、自分の仕事は自分の仕事、なのだ。互いを信頼しているのか、日本であれほど重要視していた「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」はどこへやら。1人で働いている朝5時に予定外の冷凍品のダンボールが30個ほど届く。前もって知っていれば仕込時間を遅らせたのに、と文句を言いつつ、成形を待っているパン生地を心配しながら、せっせと2階の冷凍室へ運ぶ。そんなことが何回か続いた後のある日、みなが居る時間帯に冷凍の鶏肉が3ケースほど届いたことがあった。冷凍庫整理にうんざりしていた私は誰が運ぶかなーと放っておくことにした。するとなんと2日間、誰も気にかけず、異臭に気付いた店長の「大変だ。あらあら。」の一言で終わってしまった。誰を責めるわけでもない。鶏肉には申し訳ないが、フランス人の「Ce n'est pas grave(たいしたことないさ)」精神を実感した事件だった。また、ある朝、6時前に誰かが工場のドアをたたいた。開店前に何事かと思って開けると「6時にクロワッサン、パンオショコラ・パンオレザンを30個ずつ注文した」とムッシューが立っていた。フランス仕事に慣れてきた私はあっさり一言 「聞いてません」と言った。ムッシューが困って焦りだしたので、「もうすぐ発酵するので、早めに焼きましょうか?」と言ったら「そうしてくれる!?助かった?!」とすごい喜ばれてしまった。謝らないのに、こんなにお客さんに喜んでもらえるなんて!この事件から、フランスでは「過去」より「未来」が大事で、私を「一会社員」としてではなく「1人のパン職人」としてみてくれてるのだなーとわかって、なんとなくフランスでの働き方がわかり始めた。
 でもふと、日本で働いていた頃が懐かしくなり、仲間と一緒に頑張ったなぁと振り返ることがある。「連帯責任」だからこそ、注意し合い、励まし合い、助け合えたのだ。
 パンを焼くということに違いはないが、日本とフランスの両方でこの仕事ができたことを嬉しく感じ、2つの文化の違いがわかるから、頑張れている毎日である。

題名 アフリカの水
名前 本間 倫子
国名 ベナン
インタビュー
 ベナン生活も1年半。腰に赤ん坊を乗せて働く女性達、衣服の強烈な色 彩、走り回るバイクタクシーの群れ、商品を頭に載せて歩く物売り…日本とは異なる風景に初めは感動すら覚えたが、男性に混じり道端で立って用を足すおばさん達にも驚かなくなり、今はそれさえも日常の風景となった。非日常が日常になる―これがここで生活しているという証しなのだろうか。
 「アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る」というらしい。来た頃はここの生活を気に入るなんて考えられなかった。まずは幼い娘の健康がとにかく心配。そのうち娘も環境に順応してくるとホッとして、今度は自分を振り返る。私にとってフランス語は最大の障壁だった。身振り手振りで何とか通じても毎日の事となるとその気力さえ失せ、人と会うのが嫌で外出も億劫、その上「夫のお荷物」「何もできないダメ人間」という自己嫌悪。異文化だから理解しあえない、子育てで言葉を覚える時間がない、公園がないから娘の友達を探せない…そんな言い訳だらけで、ベナンの空はすっきり明るいのに心はモノクロでどんよりしていた。
 彼女に出会ったのは、心が空回りしていたそんな頃だった。ダンス教室でメキシコ人の彼女は、赤ん坊を抱いて楽しそうに踊っていた。その笑顔につられて思わず話しかけると、お互いの娘達は同じ一歳、友達を探していて家も近所、水泳が好き、フランス語が苦手、彼女は日本留学の経験あり、など共通の話題で仲良くなり、子連れで一緒に話しながら散歩をするのが日課になった。彼女は、国際結婚など自分で可能性を切り開いてきた人だった。積極的に子連れ仲間も見つける一方、ベルギー人の義母と会話したいと語学学校に通い始め、どんどん上達していった。
  ある日子連れでプールに行ったときのこと、私が例の如く愚痴っていると、聞き終わった彼女は「やらなければ、いつまでたっても変わらないよ」と言ってプールに飛び込んだ。その泳ぐ姿を見て突然、ああ私はアフリカというプールに浸かっているだけでちっとも泳ごうとしていなかったのだ、ということに気づいた。立ち竦んでいたらいつまでたっても周りの水は動かないのに。泳ぐ意思さえあれば水は行きたい方向に押し出してくれるのに。
 私は泳ぎ出すことにした。まず娘を抱っこしながら幼稚園探し。幼稚園に毎日持たせるおやつ作りに挑戦。仏語学校に毎日通学。最初は授業がわからず戸惑ったが、自分の歳の半分ほどの若者に混じって3ヶ月通っているうちに楽しくなり、修了式では代表スピーチまでさせてもらった。喋ることに抵抗がなくなると会話も弾み、友人も一気に増えた。泳ぎ始めてみると「できない」が「できる」という日常に変わり、生活が明るさに彩られてきた。

 周りの水が動き始めて景色がどんどん移り変わる。水が体を心地よく包んでくれる。もっと泳いでみよう。そして口に含むアフリカの水を存分に味わってみたいと思う。
 

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