題名 日本の友達へ
名前 大林 秀行 11歳
国名 オランダ
こっちはまだ8月なのに気温は20度位しかないけどそっちはどう。ぼくが、オランダに来てから1週間たって学校にも通っているけどまだ、旅行 に来たような感じだよ。これからぼくが、オランダに来て見たことや聞いたこと、感じたことを書くよ。ギーギーオランダといえば風車。だからぼくは、風車を見に行ったんだ。風車はこのよ うな音をたて、予想以上に速く回っていたよ。また、5年に一度たくさんの船がオランダでお祭もやっていたよ。それと、オランダの土地は、昔のオランダ人が作ったものなんだって。そし て、今ぼくがその土地の上を歩いていると思うと、不思議な気持ちがし、オラ ンダやオランダ人はとてもすごいと思うよ。でも、困ることもたくさんある。オランダ人は背がとても高い。だから、台所が高くお母さんが困っている。そ れとこれは、困ったことじゃないけどお風呂も大きい。他には、お風呂とシャワーが一緒になっていることやポケットティッシュを配 っていないことなど。ある日、お米を売っている店を見つけてひさしぶりに御飯を食べたんだ。なんと、それはとてもおいしく感じられたんだ。ぼくは、びっくりした。日本 では1日1回は御飯を食べていたからこんなにおいしいものだとは思ってなか ったんだ。そんなことからいつも生活していた国をはなれて、異国で生活していると、前 に生活していた国をいままでとは違うように考えることが出来ることが分かっ たんだ。じゃあ、元気でね。

題名 意識しないことが大切
名前 石田 太呂 15歳
国名 オランダ
僕はオランダで生まれオランダで育った。父はオランダ人、母は日本人という 最近ではよくあるパターンだが、他のハーフの子と違うのは、なぜか日本人学 校に入れられてしまったということだ。小学校1年生から中学校3年生までの 長い間日本人学校で学んだので、どっぷりと「海外在住日本人文化」になじん できた。だから僕の知っている日本とか日本文化、日本社会、日本人というの は全てこの日本人学校を通して見ているものなのである。僕は同時にオランダ人とも普通に交流してきた。バンドを組んで一緒に音楽を やっているのはオランダ人だし、グラフィティやアートの話を語るのもオラン ダ人だ。ときどき僕に「君は何語で考えているの? 日本語? それともオランダ語とか 英語?」と聞く人がいる。あるいは「君のアイデンティティは日本人それとも オランダ人?」僕にとっては全く無意味な質問にきこえる。僕は日本人といる ときは日本語で考え、オランダ人といるときはオランダ語で考える。そしてイ ギリス人のいとこたちと喋るときには英語で考えている。僕のアイデンティテ ィは「アーティスト」だ。オランダ社会と日本社会の大きな違いは外国人に対する態度だと思う。オラン ダ社会においては外国人はとくに外国人扱いされない。オランダ語が喋れれば 出身国がどこでもオランダ人と対等だ。オランダ語が喋れなくてもオランダ人 とコミュニケートできればオランダ人と対等だ。両親が外国人でもオランダの 学校でオランダの教育を受けている子供たちはオランダ人とみなされる。これ に対し日本では、ちょっと顔つきが違ったり、日本語のアクセントがおかしか ったりするだけで外国人扱いされる。これはいいときもあり悪いときもある。 外国人としてちやほやされるときもあれば差別されるときもある。日本が国際 社会となるには、オランダのように外国人を特に意識しないことが大切である と思う。

題名 日本人としての私
名前 井藤 彩歌 11歳
国名 ドイツ
7年前、これから始まるドイツでの新しい生活に、4才の私は夢がいっぱいでした。ところが幼稚園の最初の日、私は、自分の身にふりかかってきている重大な事 実を思い知らされました。ここはとんでもない場所だ、と心臓がドキドキ鳴り ました。みんなの話す事が、全くわからないのです。でも、それがなぜだがよ くわかりません。世の中に、自分の言葉と別のものが存在するなんて、思って もいなかったのです。それと同時に、周りと違う自分を感じました。私は外国 人なのだ、と気づいた初めての日でした。それからの毎日は、いつも一人ぼっちでした。明日の朝目が覚めた時、ブロン ドの髪と青い目になっていますように。そうお祈りをし、翌朝がっかりする日 々が続きました。みんなと遊べない私は、ひたすら周りを観察しました。する と、宇宙人の様に思えたドイツ人も、私と同じ人間なんだとわかってきまし た。そしてある日、私の心が叫びました。私にだって、みんなと違ういいとこ ろがある。私は外国人じゃなくて日本人なのだ、と気づいた初めての日でし た。それからの私は、強くなりました。おにぎりだって、持って行きました。何か 言われたら「私は日本人」と言い返せばいいんだ、と私の心が教えてくれまし た。私の日本人としての意地が生まれた、初めての日でした。すると急に体が 軽くなって、みんなのドイツ語がどんどん頭に入ってくるようになりました。今、私はインターナショナルスクールに通い、たくさんの友達がいます。もう ドイツ語でも英語でも、みんなと話すのに困りません。けれど、言葉がわかる ようになればなるほど、自分が日本人なのだと強く思うようになりました。そ して、日本人の自分を、好きになっていきます。きっと、これが日本人として の誇りなのだ、と今気づきました。そして将来は、日本人としての意地と誇り を持って、世界とかかわる仕事をしたいと思います。

題名 わたしはW(ダブル)
名前 熊本 桜子 11歳
国名 イタリア
わたしは、イタリアで生まれ育った11才の女の子です。お父さんは、イタリア人でお母さんは日本人です。わたしは小さい時から日本に行くと、「あなたはハーフなの」と知らない人に よく聞かれました。小さい時はハーフと言う言葉の意味がよくわかりませんでしたが、なんとなく 自分が半分みたいでその呼ばれ方が好きではありませんでした。わたしが少し大きくなってからお母さんはハーフは混血と言う意味と説明して くれ、「でもあなたはハーフと呼ばれるけれど本当はダブルなのよ」と言いま した。わたしはびっくりしました。だってハーフがいきなりダブルになったのですから。でも母の意味はわたしは二つの国の歴史を受け継いで生まれてきて、二つの言 葉を話し、二つの国の人達と接し、二つの文化の中で生きている。普通の人は 一つしか持たないそれらをわたしは二つ与えれていると言う事で、まさしくわ たしはとってもラッキーなダブルだったのです。だけど話はそう甘くはありませんでした。その後母は、わたしに「あなたがめ ぐまれたぶんあなたとは逆に一つの国すら与えられなかった人もいる、文化を 学びたくても学校にも行けない子供達が世界中にいる。だから大きくなったら そんな人達の役に立たなければなりません、でないと不公平でしょ」と続い た。わたしは今からそんなに未来の事を考えたくないけれど、わたしがダブルだと 言う事はとりあえずすばらしい事だと思います。わたしはスーパーマンじゃないのでどれくらい人の役に立てるか分からないけ れど、でも精一杯がんばってわたしのダブルが役に立つといいなと思います。

題名 Can I help you?
名前 港 陽太朗 12歳
国名 ドイツ
Can I help you? 日本語に訳すと、私に何か手伝える事はありますか? とい う言葉だ。僕は、ドイツに来ていろいろな場面で困った時、全然知らない人達 がこの言葉をかけてくれ助けてもらった事がある。オーストリアへ家族でスキーに行った時の事だ。僕はボーゲンが少し出来るく らいの初心者だ。時間が遅くなり、リフトが止まってしまい、山の頂上からス キーで降りる事になってしまった。途中、下を見ただけでこわくなるアイスバ ーンの斜面があった。その斜面は僕には急すぎて、上から真中まで転げ落ちて しまった。父の姿を探した。なんと父は下まで転げ落ちていた。1人で斜面に 残され泣きそうになった。すると、10人ぐらいの人達が僕の周りに集って来て くれた。Can I help you? この言葉をかけてくれ、下まで降ろしてくれた。ス キーの時だけでなく、何回もこの言葉に助けられている。野球の練習で初めて の場所へ行き迷った時に送ってくれた人、電車が止まってしまった時に助けて くれた人、たくさんの荷物を持ってる時、階段で荷物を持つのを手伝ってくれ た人もいた。ここでは、困っている人がいれば、声をかけ、助けの手をさしのべてくれる。 この事は普通の事だ。でも、普通の事なのに僕はこの言葉がなかなか言えな い。今までは、日本では、困っている人を見かけても、助けてあげたい気持ち があっても、照れくさくて出来なかった。みんながやってると出来るのに。知らない人からこの言葉をかけてもらった時、うれしかった。自分も人のため に何かをやってあげたくなった。人の為に何かしてもらったり、した後には、 感謝の気持ちや笑顔が残る。怒りやにくしみはない。生まれた国が違っても、 みんなが他人に対して、いつもこの言葉をかける時の気持ちを持っていたら世 界は平和だ。ドイツに来て、自然にこの言葉がでる人達を見て、僕も自然に言 える気がする。

題名 ライフスタイル
名前 木庭 恵美子 14歳
国名 チェコ
私がチェコで暮らせる時間もあと数カ月となってしまった。この2年半の間 に、私はチェコの人たちから様々な暮らし方を学んだ。引っ越す前の私の家からは、隣家の様子がよく見えた。隣の家では毎日のよう に壁を塗りかえたり、塀を作ったりするのをよくながめた。それらは全て、そ の家のおじさんを中心にその家族みんなの協力で進んでいた。私は最初、「専 門の業者に頼めばいいのに」と思っていたが、おじさんたちを見ているうち に、その考えは薄れていった。おじさんたちが働く時間は平日は朝か夕方で、 休日は1日中やっていることが多かった。夏の暑い日には、ビールでほどよく ふくらんだお腹を出したおじさんを、太陽がジリジリと容赦なく照りつけてい た。それでも毎日毎日、レンガを積み上げていく姿は完成を楽しみに頑張って いるというふうだった。家族で作業をしているときは、会話が飛び交い、楽し そうな雰囲気が溢れていた。そんな家族の姿を見て、私は素朴な幸せを感じ た。おじさんと家族の力作の「塀」は冬が訪れる前に完成した。もちろんおじ さんは嬉しそうだったし、私の家族も、感心したり、感動したりしていた。チェコの生活に慣れるにしたがい、チェコの人たちの暮らし方に目が向いてい った。そして、隣家のことは例外ではないことが分かった。チェコの家族の多 くが芝刈りや家庭菜園、ガーデニングなどをしながらゆったりとした時間の流 れを楽しんでいる。チェコの人たちは、ブルタヴァ川の流れのようなライフス タイルを持っている。私は幼いころ、八丈島という島で4年間暮らしたことがある。そこにもゆった りとした時の流れがあった。しかし、東京に戻り、忙しい雰囲気に流されてい るうちに、それをすっかり忘れていた。プラハの暮らしは、私に憧れのライフ スタイルを思い出させてくれた。私はこれから、このライフスタイルを大事に して暮らしていこうと思う。

題名 私の友達
名前 秋山 レイラ 11歳
国名 イギリス
教室でお友達といたら知らない子が入ってきた。とても驚いたのは、教室中に 響き渡る泣き声と彼女の容姿だった。その容姿は、黒い髪に黒い瞳で身長も私 とほぼ同じでした。日本人かも? と嬉しくなりました。友達が「日本語で励 ましてあげな!」と私に言ったので「彼女の名前は?」と聞くと「ユーニスだ よ」と教えてくれました。私は、その名前にがっかりしました。ある日、ユーニスが広東語で話し掛けてきました。私は、困りました。ユーニ スが英語を話せない事を知っていたからです。それでも「ごめんなさい。私 は、日本人なの。英語で喋ってね」と言いました。この言葉は、ユーニスに通 じない事とはわかりました。なぜなら、キョトンとして黙ったまま悲しそうに 私を見たからです。しばらくして、私1人だけだったEFLの授業にユーニスが入ってきました。 それから、私達はお互いのたくさんの共通点をみつけました。ユーニスは、寿 司が好きで日本の流行番組も知っていました。そして、なにより私達はアジア 出身です。共通点を見つけた私達は、英語を使い話すようになりました。理解 しあえない時は、漢字を使うという手段も覚えました。これは、パズルを解く ようで面白かったです。TVに中国のデモの様子が映っていました。ビルへの投石、日本人への怒りを ぶつける中国人に驚きました。学校に行くのが不安になりました。でも、登校 するとユーニスは元気よく「おはよう!」とそして「中国人が日本人にひどい 事してごめんなさい」と言ってくれました。私も「昔中国にひどいことしてご めんね」と言いました。気まずい思いは、無くなりました。日本と中国が私達 のようにたくさん話をして理解する事を祈ってます。それは、絶対出来ると思 います。なぜならお互いにたくさんの共通点があるからです。私達は、いつも一緒です。けんかをしてもすぐに仲良く出来ます。イギリスで ユーニスに会えて良かったです。
 
 

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