| アムステルダム近郊の草原で、のどかに草を食む牛達を見ながらSがしたり顔で言う。「オランダの牛が噛む速さは日本の牛の半分だそうだ」「何でもゆっくりしているからね」とMが溜め息をつく。しかし、事は牛だけでは無い。いつになっても外と内の時間が“噛み”合わぬ為か、我々日本人にこの時間感覚のズレが、胃壁をかきむしる痛みと共について回る。―五時になり大半のローカル社員が帰宅する後姿に「仕方ねーなー」と呟きながらも書類に埋もれる父。そんな父の遅い帰りにも文句も言わず苦労を共にする家族。会社作成の『駐在の手引』にも「駐在により家族の絆が強まる」と迄書いてあるが、誠に余計な御世話である。しかも駐在の苦労とは、そんな御茶の間ドラマのハッピーエンドな筋書だけではないようだ。体内外の時差の他に、もっと自分達を追いつめいているものは何か?考えて行く内に誰もが自分達自身に内在する問題に辿り着く気がする。誰にでも覚えのある、ある光景、あの会話。―
「日本へ帰ったら二度と行けない」という典型的な切迫感は、駐在した当初からさえも日本人家族を夏のバカンスへと駆り立てる。スイスの日本料理屋で隣にいた家族は遠くメキシコから来ていたが、何気なく覗くと両親共素うどんなのに二人の子供は何んとすき焼きを食べていた。駆り立てられた果てに、“一杯の素うどん”では余りに寂しすぎる。
一方子供達も「日本はもっと厳しいのよ」という教育ママ達の金切り声に追い回される。“厳しい=価値がある”という論理の展開に父親が口をはさむ事は許されない。牛を小屋で飼う民族ゆえに仕方のない事かと思ってもみるが、子供達がこの二律背反の中で将来の占めるべき位置を見つけられるか心配になる。欧州並みとは言わないが、せめてもう少しゆっくりとできぬものか?
最後に「早すぎて何も見えなかった」と子供達が嘆かない様に。 |